灰原は、二元ミステリーでコナンが(あるいは服部が)文字通り命をかけて練った作戦を台無しにしてまで自らの意思での決着にこだわった。これに文句を言おうというわけではない。
むしろ、灰原の行動は自らの18年の人生に味わった悲しみや苦悩を自分だけで処理し、周囲に迷惑をかけず自分自身の命のみと交換しなければならないという固い決意の現れだと思う。
問題はそのあとで、確かにベルモットの脅威がなくなり、灰原の安全度は増した。ベルモットはコナンやFBIに敗北を喫しっただけでなく、蘭の行動を目の当たりにして、より組織への疑問をはっきり自覚することになった。ベルモットが露骨に灰原に銃口を向けることはもうないかもしれない。
でもだからといって、灰原が組織壊滅に協力しなくよいということではない。コナンや蘭にこれ以上組織に関わってほしくないから、という感情的な理由があってもだめなものはだめで、知っている情報をあえて黙っているというのはこの件に限らず灰原の悪い癖。
自身に明確な懸念があるのなら、それをコナンやFBIにしっかり伝えて、組織を追い詰めるための努力を続けるべきでは、という話。
だから、APTXについてまだコナンに知っていることを全部伝えていない灰原が、いわゆる「信用できる語り手」であるかは未だに疑問を持っている。
この記事では、二元ミステリーから水無怜奈事件の直前までの、ボスのメールアドレスに関する灰原関係のやりとりを整理し、灰原が何を知っていて、なにをコナンに隠したのかを見ていく。
沖縄で蘇る記憶
コナン「(え?な…何だ!?…この感じ!!!)」
45巻ファイル7
コナンが本山さんの姿をベルモットに重ねる。二元ミステリー以前にもコナンが身の回りでボスのメールアドレスの音を聞いているのなら、こういう反応ではなく、ベルモットがメールを打ったそのときに気がつくべきだし、「そういえばアイツも…」となるほうが自然なので、やはりコナンにとっては二元ミステリーのときに初めてボスのメールアドレスを聞いたと考えて間違いないか。実は灰原もメールは出していて…。とかではなさそう。
天体観測の道中で
歩美「……さっきから何してるのコナン君?」
光彦「あ、その人、この前沖縄でジャガーズの能勢選手を殺害したスポーツタレントの本山正治さんですね!」
歩美「コナン君もその事件の時いたんだよね?」
コナン「ああ…」「その時の事情聴取の合間に本山さんが携帯でかけた電話が…」
「何かこう…」「ひっかかってて…」
「どこに電話したか知るために、本山さんのホームページ見てるんだけどその電話の相手は書き込んでねーし…」
灰原「ひっかかるって…何が?」
コナン「あ、いや、大した事ねーだけど…」「事情聴取中に電話するなんて誰かなーって思ってよ……」
「能勢選手が亡くなったことを親や家族に知らせるのは既に警察がやっていただろうから…」「かけるとしたら本山さん本人の知り合いだとは思うんだけど…」
「あーくそ!あの時本人にかけた相手を聞いときゃよかった…」
阿笠博士「……」「もしかして小森選手じゃないか?」「ホレ、ジャガーズに本山さんや能勢さんと同期入団したプロ野球選手じゃよ!」
「シーズンオフの旅番組によく3人で出かけて追って仲が良さそうじゃったから……」
コナン「親友の死を知らせた可能性はあるわけか…」
博士「確か4年前に引退して実家の旅館の後を継いだそうだ…確か鳥取の倉吉ってところじゃったかのォ…」「一度テレビで紹介されていたが、なかなか良い旅館じゃったぞ!
コナン「あ…そう……」「(どうやら黒づくめの奴ら関係なさそうだな…)」
灰原「(倉吉…工藤君……あなたまさか……)」
45巻ファイル9
この話の導入でもメアドの話。ある意味灰原の最後の独白にすべての要素が集約されている。コナンの話を聞いた上で「倉吉…工藤君……あなたまさか……」と反応するのはどんな条件が必要なのだろう。
灰原が隠していること
まさか…に続く言葉が「まさか…にんじん嫌いなの?」がありえないように、続く言葉は当然このときのメイントピックである本山さんの電話に関係することでないとおかしい。問題は「倉吉」に反応していること。考えられるのは
①倉吉と組織のだれかが関係していると知っているから
②倉吉に灰原自身が関係があるから
③ボスのメールアドレスを灰原も音で覚えており、それをコナンにいままで黙っていた。かつ、メールアドレスのプッシュ音は鳥取県の市外局番に似ていることも知っていた
このあとの回を見れば、灰原の状況は少なくとも③であったろうことは容易に想像できる。
同じことがまた
コナン「どこだ!?今、どこへかけた!?」
山村刑事「と、鳥取のバアちゃんの所だけど……」
コナン「(と…鳥取だと!?)」
灰原(じっとコナンを見つめる」
46巻ファイル1
組織とは関係ないと感じたのもつかの間、またプッシュ音に激しく反応するコナン。まあ、おばあちゃんちは電話帳に登録してるだろというツッコミどころはあるんだけど、ガラケー時代は登録しててもプッシュ音が鳴る機種もあったしいいか。
ともあれ、コナンは鳥取県の市外局番とベルモットがプッシュした音が似ていることに確信を持った。このときの灰原の表情はなんともいえず、青山さんもペンに力が入っているなという感じがする。
少なくともプラスの感情ではない。かといって怒りとか不快というような表情でもなく、「ああ、気がついてしまった…」「これからなにをするつもりなの…」というような不安を感じさせる表情。
あるいは、ベルモットの危険が去り、せっかく安全圏に戻れたのにまたコナンが首を突っ込むのかというあきらめや儚さも感じる。
灰原の懸念をよそに、コナンはすぐさま動く。
阿笠博士「と…鳥取県の市外局番?」「それがどうかしたのか?」
コナン「ホラ、前に話しただろ?」
「沖縄の事件の事情聴取の時に本山さんがかけた電話は引っかかっているって…」
博士「ああ…でも俺は本山さんの友人にかけたんだろうって事で解決したんじゃ…」
コナン「確かその友人の家、鳥取の倉吉だったよな」
博士「うん…そうじゃったかのォ…」
コナン「そしてこの前の事件の帰りに山村刑事がかけたのは祖母がいるって言う鳥取の八頭って所」「倉吉と八頭に共通しているのは…」
「市外局番の0858だ!!」
博士「だ、だからそれが一体なんじゃと…」
コナン「同じ感じがするんだよ…あの女が押した携帯電話のプッシュ音と…」
「そう…車内に睡眠ガスを充満させ自分の足を撃ち抜いて逃げた、あのベルモットが…」「車の中で仲間に打ったメールアドレスとな!!」
博士「ええっ!?」
コナン「しかも他の仲間じゃねーぜ…」「博士も盗聴器で聞いてただろ?あの女がそのメールを受信して返信するときにつぶやいた言葉を…」
(ベルモット「OK boss...」)
博士「じゃ、じゃぁこの番号まさか…」
コナン「ああ…俺の耳が確かならこの0858は…」 「奴らをを束ねる総大将の…」「名前や居場所の道しるべとなるメールアドレスかもしれねえってわけさ!!!」
コナンと博士の会話文を灰原は地下室へ続く階段の影から聞いている。おそらくほぼすべて聞いている。だろう。表情は前回の事件の帰り道の車中と一緒。
灰原はコナンがボスのメールアドレスにたどり着くのは時間の問題と確信しただろう。
灰原がなぜコナンに対してボスのメールアドレスを知っていることを黙っているのか。ヒントはこのやりとりにある。
コナン「ま、答えが出たらすぐに知らせるから心配すんな!前回はあの赤井っていうFBIが灰原を助けてくれたみてーだけど…」
博士「(え?)」
46巻ファイル2
コナンは蘭が灰原を助けてくれたことは知らないことが改めて確認された。博士は「え?」っていっているから、博士には伝えているけど、コナンにはわざと伝えていない。
灰原の蘭に対する複雑な感情は、二元ミステリーを境に恋敵から亡き姉へ姿を重ねる存在に変化しつつある。自身が蘭に守ってもらったことをコナンに伝えたくないと判断して伝えていない。
なぜ伝えないかはわからない。しかし蘭を姉に重ねるようになったことと、メールアドレスの存在を隠していることを踏まえれば、やはり蘭を自分のせいで過酷な世界に巻き込みたくないと考えているのかも。そのためにはコナンがメールアドレスにたどり着かないほうが都合がいい。
この場面で灰原がコナンと博士の話を聞いているコマの背景には蘭が灰原を抱きかかえてまもる様子が回想されている。メールアドレスの件に限らず、灰原が嘘を付き続けるのには、こうした背景があるだろう。
土門康輝暗殺未遂事件の際、灰原は探偵事務所に戻ろうとしている蘭を、訴えかけるように引き止めている。それまで蘭を避け続けていたが、これも灰原の心境変化を表す場面。
コナン、ついにアドレスを解読
博士「『七つの子』?」「ああ、知っておるよ……」
「かーらすー♪なぜなくのー♪」「昔学校の帰り道でよく歌ったわい」
「何じゃ?音楽の先生に宿題でも出されたか?」
コナン「違うよ…この前行った0858……携帯電話でリズムをとって打つと、その歌の最初のフレーズになるだろ?」
博士「確かにそうじゃが……」
コナン「やっと思い出したんだよ…」
「あの時ボスにメールを打つベルモットの顔がどこか寂しそうな懐かしいような感じがしたのは…表情じゃなく、メールアドレスのプッシュ音のせいだったてな!!」
博士「ええっ!?」「じゃ、じゃあまさか…彼らのメールアドレスの七つの子は……」
(中略)
コナン「恐らくこれがあの黒ずくめの奴らのボスのメールアドレスだよ!!」
博士「な、なんじゃとォ!?」
「お、おいまさかそこにメールを出したんじゃないだろうな
コナン「バーロ…こっちの身元を教えるような真似するかよ……」
「まあ、メールを出すのは高木刑事に事情を話して、このアドレスを使っている人物を割り出した後で…」
灰原「消されるわよ…」
「高木刑事…」「その人物を突き止めようとした時点で彼らの手によって……」
「そして彼らの矛先は、そのメールアドレスを提供した工藤君に向くでしょうね…」
博士「じゃが、高木刑事だけじゃなく、警察にこのことをちゃんと話して、それ相応の体制で臨めば……」
灰原「無理よ…あの事件の直後ならまだしも…」「ただの誘拐事件として片付けられた今となっては、お人好しと高木刑事以外、そんな話 信じる方がどうかしてるわ……」
「そう…警察を動かすには、あの時点でそのメールアドレスがわかってなきゃいけなかったのよ…」「ただでさえ信じがたい人物が浮かび上がってくるかもしれないんだから…」
コナン「信じ難いって……」
「お前まさか知ってたんじゃねぇだろーな!?」「奴らのボスのメールアドレスを……」「そいつが誰なのかを…」
灰原「さぁ、どうかしら?」
博士「しかしもったいないのォ…せっかくボスのメールアドレスがわかったかもしれんのに手が出せんとは……」
灰原「まぁ、さっさと諦めて忘れるのね…」
「そのメールアドレスは、決して開けてはならない…」
「パンドラの箱なんだから…」
46巻ファイル7
コナンはストラディバリウスの不協和音事件で、メロディが七つの子ではないかという情報を得て、自力で解読に成功した。
まあこれも、@以下のドメインは?とかいうマジレスをしてしまうと面白くないのでスルーするが、高木刑事に相談したところで、メールアドレスの主がわかることもなければ、警察がそれ相応の体制で準備してくれることもないというのは、灰原の言うとおりだ。
コナンの「メールアドレスやその主を知っていたのでは?」という問いには明確に答えなかったがこの状況では正直肯定しているも同然である。
よくよく考えたらこれは当然の話で、シェリー時代の灰原はコードネームを与えられており、おそらく組織の中心的な活動目的である人体老化に関する何らかの研究に携わっていた。キールですらあの方へ直接メールを打つのだから、灰原が知らないはずはない。
さらに、ボスが誰なのか知っていたのではという問いについても否定しなかった。これだけで知っていたと結論するのは難しいのだが、知っていたとしてもおかしくない。
最近まで宮野夫妻が研究していたのが白鳩製薬であることも読者に黙っていたし、コナンには作中では伝えていない。
組織に烏丸蓮耶が参加していることや、組織の真の目的、つまり灰原が研究していた薬の効果などを含めてこの時点から灰原はまったく明かしていないことが分かる。
なぜコナンやFBI、公安は灰原を尋問しないの?という無垢な疑問への対処法
灰原に限らず、なんでコナンの世界ではきちんと証言しない重要人物をもっと尋問しないの?という実に純粋な疑問には対処しないといけない。
正直、メタ的な理由、つまりこれが週刊連載漫画だからという答え以上のものはないのが実情だ。
灰原の口から知っていることが全部出たら、コナンという作品自体が成り立たなくなる(笑)
灰原は(見た目は)子供だし、そもそも公には存在しない人だから公安やFBIは尋問できないという理屈も成り立つけど、だったらコナンはメールアドレスの件を機に、灰原から聞ける情報を全部聞きだせよ、「お前、隠し事はやめて知ってることを全部言え!」って迫れよ、という至極まっとうな話。
証言を集めることこそ探偵の重要な仕事だろうというツッコミに対する論理的な反論はほとんど無理。メタ的にも展開スピードは緩めるのが週刊漫画連載の基本パターンである。
この件から評価する灰原発言の信用性
メールアドレスに関する灰原の動きを振り返ると、灰原が信用できる語り手たり得ないのは明らか。
ミストレでの「こんな薬つくっちゃいけなかった…」という独白も、「本当に作らされていたのは別の薬…」に関しても相変わらず黙ったまま。若狭に対する「先生のこと好きだから…」の真意も明かしていない。
灰原はキャラとして二元ミステリー以降ある意味民主化されたともいえるだろう。コナンの敵か味方かすら不安定だった時期からすれば信用性は高まり、メディアミックスとしてのコナンでもすっかり人気者に。
ただ、あくまで本筋においてはまだまだ信用できないなあというのが、このボスのアドレスに関するやり取りからわかる。本筋考察の超重要ポイントを多数握っていると思われる灰原の口から、今後どんなヒントがもたらされるのだろうか。