【隻眼の残像】これからも毎年コナン映画が見たくなる傑作

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名探偵コナン劇場版第28作「隻眼の残像」。長野県警にまつわる事件と小五郎の活躍がメインの映画だと思っていたら、実は公安映画だった。多少の戸惑いはありつつも、コロナ禍以降の仕切り直しで大幅にクオリティをあげた演出や音楽が存分に発揮された傑作ではないだろうか。

警察組織や公安が登場するコナン映画は、現実にある要素を取り入れているのに、ディテールが雑でメインの事件解決のノイズになったり、キャラの属性にまで悪影響を与えたりしていることが多かった。黒鉄の魚影は大好きな映画だけど、数少ない不満も警察がらみの部分だった。

その点、今作では、そうした不満がほぼ解消され、非常に納得感のある展開とフィクションで現実の要素を受け入れる工夫がなされていた。

練られた脚本、適切な演出、美しい音楽など、コナン映画を来年以降も観たくなるような作品と言える。これなら公安シリアステイストの映画はこれからも観たい。

色濃く出た櫻井氏の作家性

今作は過去作と比べても脚本担当の櫻井武晴氏の作家性が色濃く出た作品になっている。多くの人が同じことを感じたのではないだろうか。

櫻井氏といえば、相棒の脚本で知られ、コナン作品に関わりはじめてからもう15年ほど経つ。ところが、正直これまで櫻井氏の脚本には乗れないなと感じることが多く、黒鉄以前では、初脚本担当作だった2013年の「絶海の探偵」が一番好みだったくらい。

なぜかというと、たびたび指摘しているように、櫻井氏の得意とするシリアス要素が記号的に配置されていたり、映画全体のストーリーに合致させるためにちょっとどうなのかと思うくらい現実の制度や組織が改変されている部分が目に余ったから。

ゼロの執行人ではとくにそれが顕著で、別記事でまとめたのでよろしければご覧いただきたい。

その点、今回は警察、検察庁、内調といった実在する組織が、ちょうどいい解像度で登場している。

例えば、警視庁、長野県警山梨県警がちゃんとセクショナリズムで動いている点。序盤、佐藤刑事と高木刑事に長野行きを懇願する小五郎に対し、佐藤刑事は「警察の越境捜査に民間人を…」と一度なだめている。

警視庁の捜査会議に東京地検の担当検事が参加しているのもよい。重大事件では捜査段階から検察庁が捜査に加わり、捜査方針や被疑者の逮捕といった意思決定に関与する。

このシーンから登場する長谷部検事の描き方はだいぶフィクショナルなだと思ったのだが、その理由は劇中できちんと回収されているので無問題。このように、リアリティを変更しても、それが作中で説明されれば違和感はない。

また、警視庁が捜査本部を立てているような重大案件にもかかわらず、長野県警側では大和、上原、諸伏しか捜査していないように見えるのだが、一応、大和と上原刑事が襲われたあと、山中をかなりの大人数で捜索しているのもGOOD。

地元の猟友会が捜索に加わるというのは獣害事案でもないので不自然ではあるのだが、長野県警が表に出ている3人だけで捜査しているとの印象を与えにくくなっている。

絶妙なバランス

櫻井氏がテーマに据えた司法取引について、実際の制度にそこまで深く踏み込んでいなかったというのもあるが、ほぼ不満なくフィクションに取り入れることに成功していた。子ども・家族連れをメインターゲットにした映画としては絶妙なバランスで取り入れたと思う。

「いやいや、法案審議の前にはパブリックコメントとか法制局審査とか与党事前審査とかあるよ、事件があっても一度提出された法案の内容は変わらないよ」という突っ込みを想定してかは分からないが、灰原が「すでに国会で審議されてる法律よ?警察官1人殺害されたからって止まるわけないんじゃない?」と指摘しているのも評価点だ。

キャラクターの人気や分厚いファン層がいるとはいえ、100億円達成がほとんどマスト扱いされているだろうところ、かなり勇気がある挑戦である。

櫻井氏の作家性がいままでの作品でいちばん適切に反映されたといえるのではないか。

安定していたリアリティライン

個人的に、コナン作品で大事だなと思っているのが、その作品内でのリアリティラインの引き方。どこまで現実を改変するかや、荒唐無稽なアクション展開をどこまで作中で許容するかが作中でブレると、途端に作品が見にくくなる。

ゼロの執行人では、現実の刑事訴訟手続きや警視庁の公安部と検察庁の公安部のパワーバランスなどに触れ、この点ではかなりリアリティラインを上げてきた。それなのに小五郎の犯罪でっちあげでの逮捕は極めてリアリティが低く、数日で起訴される展開には呆れるしかなかった。

その点、今作では作中のリアリティラインの安定感が光っていた。各組織は現実に即して描写し、公安部の動きや隠れ公安などをその1つ下のリアリティに。最後の犯人の大暴走は別枠、といった具合。

これがゼロの執行人では各組織や制度の正確性を落としたのに、なぜか公安部の動きやキャラの設定はリアルという倒錯を起こしていた。そうした飲み込みづらさはほぼ解消されたと言えるだろう。

「相棒」からの引用にニヤリ

櫻井氏が名を上げたテレビドラマ「相棒」と似たシーンがたくさんあったので、ファンとしては紹介せざるをえない。

まず冒頭、鮫谷が日比谷公園で犯人に射殺されるわけだが、これはド直球。相棒シーズン1の最終話*1杉下右京日比谷公園で狙撃される。

物語のキーワード「隠れ公安」もそう。2代目相棒の神戸尊は警察庁から警視庁に送られた「庁内S(スパイ)」で、非公式な役割を与えられている。これは櫻井氏が担当したシーズン9の12話「SPY*2から。

次に、銃砲店強盗事件で怪我を負った結果自ら命を絶った舟久保真希さんの父親・英三氏が県警本部で大和に詰め寄るシーン。これは櫻井氏が担当したシーズン3の11話「ありふれた殺人」*3が強く意識されている。

クライマックス、大騒動が終結し、犯人である林に佐藤と高木が警察官の職務倫理を聞かせるシーンは、櫻井氏の担当回でないがシーズン10の16話*4に似たようなシーンがある。

犯人の動機は徹頭徹尾逆恨みで、司法取引は法律で認められた制度だ。それをちゃんと描写して、本編でも断罪しているのがすばらしい。

エピローグで安室が林に司法取引を持ちかけるシーン。あれだけ嫌っていた司法取引をせざるをえない状況に追い込むプロットは、思いついた時にこれだ!と思ったのだろう。確かになと思う反面、司法取引は拒否して、裁判で洗いざらい話せば世間では同情する人も出てきただろうに、とも思う。

音楽と演出は安定期に

コナン劇場版、コロナ禍での1年延期を経た後のハロウィンの花嫁以降、音楽と演出は一貫して高いクオリティを維持できていると感じる。特に、この両方が重要となるアバンタイトルは今作も素晴らしかった。

時系列が込み入っており、場所もばらばらのシーンを暗転でつなぐのはややわかりにくさはあるものの、十分ついていける範囲。本編を始まるにあたって必要な描写を入れるのに苦労したのだろうと推察するが、ワクワク感が失われることはなかった。

演出については、細かい点でも良いところがたくさんある。

ワニが殺害されて涙を流す小五郎につられそうになった。コナンのキャラって時々共感性が著しくかけた人たちが出てくる。最近一番気になったのは、原作の話ではあるがFBI連続襲撃事件だ。

同僚が何人も殺されているのに、キャメルが坊主になったことをみんなで笑っているのはのんきすぎてちょっとどうなんだと思った。

その点、今回の小五郎はちゃんと後悔している。自分のために鮫谷は死んだと自責の念に駆られたり、巡査部長で終わった自分に対して、しっかりと警察官を続けており警部にまで昇進していることに心を痛めたり。いままでにない演出だ。

オープニングタイトルが明け、規制線のズームアウトで本編が再開する画面の切り替えも秀逸。こういう画面が作れているだけで応援したくなる。

さらに、出番が少なかった探偵団もそう。中盤、大和と由衣が襲われた車に接近して犯人を捕まえようとする光彦と元太。

おいおおい何度目だよ、こうやって馬鹿な探偵団が単独行動して捕まるパターン…そして誰にが助けを求め、雑に解決。子供たちは叱られることもないどころかひどい言葉を吐くシーン…

イラついて劇場で思わず舌打ちをしようと、舌を歯につけようとしていたその時ですよ、光彦が自分たちで窮地を脱出するよう、携帯で犯人を撮影、通報するふりをして、事態を切り抜ける。これだよ、探偵団はこう使うんだよ!と膝を打った。

小五郎の2度の発砲について、雪崩を防ぐために発砲するシーンは、誰が打ったかわざと切っていたので、もしかして小五郎かという感じはうっすらあった。本編中であそこまで明示せず、オープンエンドでも良かったかなと思う。

クライマックスの射撃シーンもカッコ良すぎた。小五郎はリボルバーも自動式拳銃もどちらも撃てるのか…

デイテールに手を抜いていない作品はとにかく応援。例えば灰原が佐久平駅前で見つめる「幸せの鐘」とカップル。灰原の心象風景をセリフを使わずに描写する。ハロ嫁以降毎回言及しているが、こうした工夫がコナン映画の安定感に大いに貢献していると思う。

また、鮫谷刑事のデスクトップ画面も芸が細かい。ファイルやフォルダが整理されていない感じのリアルさや、電子タバコを吸う姿の画面越しに伝わるリアリティ。日本の社会人のうち一体何人があれに共感したことか。

今回の作品も、実は雪山と天文台だけで事件は展開していく。それでもスケールを小さく感じさせないのがすごい。

キャラデザが刺さる

今作はキャラデザが特に刺さった。まず白眉なのは由衣刑事。作中屈指の美人キャラで初登場時の幸薄い感じは当時ぶっ刺さったのだが、今回もかなり好み。

特にクライマックスで束ねていた髪がほどけた姿は最高だった。このシーンは大和と同僚以上の関係を描写するために無理やり作った感が強く若干引っかかりはするが、由衣刑事が魅力的すぎて気にならなくなってしまった。

天文台の女性観測員・円井まどかと強盗事件の被害者だった舟久保真希のリアリティも良かった。長谷部検事は出番少なかったものの、意外とああいう派手で性格悪そうな見た目でちゃんと仕事している人がコナンでは少ない。

メインの事件はもう一歩

ここまで櫻井脚本がうまく機能したことや気の利いた演出について触れてきたが、主にメインの事件周りであと一歩だったと感じたところを振り返っていきたい。

まず冒頭、30口径のライフルならもっと激しく体が損傷するだろうが、まあアニメ映画なのであれが精一杯か。一撃で即死なのは納得だ。

鮫谷射殺時の犯人、小五郎が「ワニ」と呼びかけるよりだいぶ前に逃走しているから、小五郎がワニって呼び掛けたのが聞こえたというのは無理がある気がする。まして逃げるので精一杯だったのだから、聞こえたとしても内容までしっかり覚えておくのは難しそうだ。

霞が関警察庁前でバイク乗り捨てたのなら、その周辺は至るところに防犯カメラが設置されているため、どこかに映っているはず。

コナンは隠れ公安だから周辺の合同庁舎に入って身を隠せたと指摘するけれど、みなさんご存知のとおり警察組織は縦割り。山梨県警で表向きは内勤のヒラ刑事なのだから、警視庁や警察庁にすぐすぐ入れない。

入れたとしても2号館(警察庁が入っている建物)と警視庁合同庁舎は、休日は正面玄関は閉鎖されているので、職員以外が入るのは大変だ。

その他にも気になる部分も数点。まず、事件の舞台となった未宝岳に、鷲頭の執行猶予が明けた同時期に住み着いた人物の素性くらい公安でも長野県警でもいいけれど、調べるのが自然だろう。

山梨県警の林氏について、そもそも、隠れ公安にするくらいの人物なのに、強盗事件の関係者と交際関係にあったことを公安が下調べしないのも飲み込み辛い。

内調と公安警察とはぜんぜん違う

内閣情報調査室(内調)について、映画ではそこまで深く話に関わっているわけではなく、また長谷部が衛星情報センター*5所属の職員というのも飲み込みやすい。

ただ、内調が今後現実離れした設定としてコナンに採用されそうで懸念。内調は公安警察のような組織ではない。

警察庁法務省からの出向、プロパー採用もいる。警察との決定的な違いは、内調職員は司法警察員ではなく*6内閣官房にぶら下がるいち行政部門だ。拳銃の所持も許可されていなければ逮捕状を裁判所に請求することもできないし、検察官に事件を送致する権限もない。

内調については最近、骨太な新書が出たのでこれを参照してほしいが、基本的に内外情勢の調査や研究、国内外のマスコミ報道の監視などを業務としている。捜査したり秘密工作活動して人を殺したりはしない。

これは櫻井氏が離れて久しい最近の「相棒」で現実離れした内調*7が描写されていることも影響している可能性がある。

貯金使い切ったので…

かけた時間やお金がリアルに反映されてしまう作画やキャラクターの動き方だが、1年延期の効果を昨年度使い切ってしまったので、引っかかりは前作より増えた印象だ。映画を観て帰宅後「薬屋のひとりごと」の放送をみて、あまりに作画のクオリティが違いすぎて戸惑ってしまった(笑)。

例えば、前述したシーンとシーンを暗転で切り替えるのは、全体の作画スケジュールがかつかつで、編集に費やせる時間が限られたためではないか。

また、佐久平駅に到着した探偵団が見る雪山の景色の作り込みもちょっと物足りない気がしたし、クライマックスの犯人追跡が一直線なのは、背景のカット数を減らすためか?って勘ぐりたくなった。

最近のアニメ「葬送のフリーレン」の一級魔法使い試験編で、フリーレンが自身の分身と戦う場面があるが、ああいうのを見ると作画でアニメに求めるレベルが自分の中でかなり上がってしまった。コナン劇場版はせめてもう少しお金をかけてほしい。

いつもの大味さは残る

拳銃アクションの迫力は満点だったが、犯人が大口径ライフルを所持しているのだから、警視庁から応援に来たSATが1小隊くらい大和らに同行するような描写もあってよかった。さすがにニューナンブで戦うのはハンデがありすぎる。

最後の犯人の逃走は、けっきょくなんでああいった大捕物になったのだろうか。移動電波受信車で衛星電波を受信し、また日本政府を脅そうとするというところまでは分かるが、車両が破損した段階で犯人にできることはなくなったのではないか。

巨大なアンテナを動かし、追われながら衛星電波を受信し、それをばらまくぞと日本政府を脅すのって、さすがに無理がないか。

犯人の林については、作中でまず一般人と見せかけて「隠れ公安」だったという謎解きをして、さらに真犯人でもあるというプロットになっていた。正直、ミステリーのルールとして、一度隠された正体を暴いた人が別の正体も隠していたという展開は若干あやうい。

特に犯人はコナンに隠れ公安であること見破られた後「なんなんだあの子」と独白している。3人称視点であったり、周囲に誰も聞かれる人がいない状況での独白がある人物を犯人にするのは御法度な気もする。

実際、私は隠れ公安だという設定が明らかになった時点で真犯人から除外、毎回怪しいタイミングで出てくる天文台の職員が怪しいと考えていた(笑)。彼に独白シーンはないし。

「ためにする行動」もいくつか

演出で気になったところは少なかったが、映画の展開にブレーキをかけている部分として、はやり諸伏がいちいち重要なことを漢詩でつぶやき、蘭が通訳する演出。

最初の1、2回はよかったが、クライマックスまでそれを持ち込まれると正直飽きるかも。こんな大変な事態の際に面倒なことをするな、と(笑)。

大和の偽装死は歌舞伎みたいだった。最近のコナン映画の観客、とくに歴戦のオタクは無用にリテラシーが高いので、ほんとに死んだと思って悲しんだ無邪気な観客はとても少なかっただろうと思う。

小五郎が推理をしない是非

今作で映画の出来とはまた別枠で気になるのは、やはり小五郎の活躍を予告などであれだけ振っておきながら、実際はコナンが新一として送ったメールの謎解きを説明するだけになっている点だ。

水平線上の陰謀のように小五郎が自力で事件を解決するストーリーになっていなかったのは残念。序盤に流した涙もいったい何だったんだ、としか思えない。

ただ、小五郎のそうした扱いは昔からで、言ってしまえば14番目の標的はもっとひどい。小五郎はコナンに眠らされて、起きたら友人が自分の娘の喉にナイフ突きつけられるのだから。それに比べれば、まあ眠らなかっただけ遥かにマシともとれる。

それに県警本部での諸伏らとのやりとりでも、「どうやら少しだけ犯人が見えてきたかもな」と小五郎が言って、高木が「え?」と聞き返して、諸伏が「ええ」といって小五郎と同じ見解を示している。すこしだけど推理してたとプラスに捉えよう。

ただ、この「推理ができない小五郎」問題は原作が抱える構造的問題でもある。新一がもとの姿を取り戻し、眠りの小五郎が終われば、小五郎はただのポンコツ探偵。また仕事も減り名探偵の名声も陰りが見えることになるだろう。

新一は愛する蘭の父親に無能探偵に戻るリスクを背負わせてしまっていることになるので、今回の劇場版で小五郎が推理できていないことへの不満は、原作のほうがクリティカルになってくると思う。

スコッチの登場は読者サービス

滝に転落した諸伏が弟を思い出して助かるのは、映画全体でみれば私は無問題と考える。スコッチというか諸伏景光って、原作での登場が極めて少ないのに読者人気が高いので、読者サービスの側面が強いのだろう。

やや置きに行った感のある演出で、なんでこんな大切な存在をここで使うんだ!という反応もあると思う。個人的にあまりスコッチに思い入れがないというのもあり、気にならなかった。

ともあれ、これでスコッチの死亡は改めて確認された。元々、生存説は荒唐無稽というか願望が入り混じった説だったと思うが、改めて念押しされてよかったと思う。これで実は生きていたとしたら、それはフィクションの作法としてアウトなので議論の余地はない。

失敗しにくくなったコナン劇場版

長々と語ってきたが、今作で実感したのは、現状の制作体制が続けばコナンはもう大コケ*8することないな、という安心感だ。これだけの脚本、演出、音楽ができればよっぽどのことがない限り、失敗しない。

本作は前作「100万ドルの五稜星」よりかなり好みだ。でも前述のとおり、映画の基本的な要素のクオリティの高さは前作からあった。それでなぜ今年の作品のほうが視聴後の感覚がよいのかと考えると、やはり青山先生によるサービスが逆効果になっているからだと思う。

100万ドルの五稜星における平次の告白失敗やだれも求めていない設定の追加に相当するような要素が、本作「隻眼の残像」にはほぼない。これが感覚的な映画の要素に影響していると実感した。

昨年の映画レビューで、私は下記に言及した。

一定水準をクリアした映画用のオリジナルストーリーに、原作の新事実や伏線回収を混ぜるというコナン映画の方向性は、今後ニューノーマルになると思う。青山先生の作りたい名探偵コナンの将来像が濃く反映され、満足度は映画技術やストーリーの面白さとは必ずしも一致しなくなるだろう。

私が今後の劇場版に求めることは下の2点だ。

①劇場版を利用した本筋の展開の引き伸ばしや新要素の追加で、本筋の魅力が損なわれないようにしてほしい

②劇場版の演出、脚本、音楽、作画については現在のクオリティを維持し、①で行う新要素追加でそうしたクオリティが落ちないようにしてほしい

本作では、この2つが達成されている。なぜこの映画を楽しめたか、この2点で自分でもよくわかった。来年もこれらが満たされ、みんなで楽しめる劇場版に出会えることを期待する。

改めて、重原監督をはじめとする作り手の皆さまに感謝申し上げます。

 

conan-mania.com

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*1:「特命係、最後の事件」。犯人は杉下ではなく警察庁官房長を撃とうとしていた。

https://douga.tv-asahi.co.jp/program/16839-23499/23510?auto=t

*2:

https://www.tv-asahi.co.jp/aibou_08/story/0012/index.html

*3:時効後に犯人が判明し、被害者遺族はその情報を望むが、警察はその情報を教えられないという不条理に胸が痛む傑作エピソード。大和の「警察が鷲頭を探すことはできない」「手掛りがあっても教えられねぇよ!」というセリフは相棒でも同じ趣旨のシーンがある。

https://douga.tv-asahi.co.jp/program/16839-24126/24143?auto=t

*4:「宣誓」という傑作回。https://www.tv-asahi.co.jp/aibou_10/story/0016/index.html高木と佐藤が話した宣誓内容が見つからなかったが、法令上「私は、日本国憲法及び法律を忠実に擁護し、命令を遵守し、警察職務に優先してその規律に従うべきことを要求する団体又は組織に加入せず、何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、良心のみに従い、不偏不党かつ公平中正に警察職務の遂行に当たることを固く誓います」となっている。警察職員の服務の宣誓に関する規則

*5:衛星写真関係の検察官というか、おそらく法務省の身分で内閣官房に出向。特定秘密保護法に基づいて指定される特定秘密のほとんどが衛星写真というのは有名な話。

*6:https://laws.e-gov.go.jp/law/329M50400000005/20240215_506M60400000001

*7:バタバタと人は殺すし内閣情報官のポジションに警視庁広報課長から異動するし…

*8:言語化するのが難しいけど、言ってしまうと11人目のストライカーみたいな映画を作ってしまうこと