黒鉄の魚影が示した、劇場版名探偵コナンを作り続ける意味

コナンの魅力を高めるために映画を作る

 

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黒鉄の魚影、傑作だった。コナン映画は、昨年公開の前作「ハロウィンの花嫁」でブレイクスルーが来たかもしれないと考えていたが、今作で確信に変わった。

映画としての質を一気に向上させ、高らかに劇場版コナンの復活を宣言したのが昨年だとすれば、今年はそれに加えて名探偵コナン映画を毎年作り続ける意味を示した作品だ。

黒鉄の魚影は、コナン映画を作る意味が名探偵コナンというコンテンツ全体の魅力を高めること」だということを作品をもって示したと言えるのではないだろうか。

正直、名探偵コナン自体が、このコンテンツ過多、競争の時代に、映画が成功していなければ作品としての人気の維持がかなりヤバい。連載頻度は少ないのに全然進まない本筋、進捗管理がまったく機能していないサンデー編集部、明らかに制作費が足りていないアニメ。コナンって映画以外のコンテンツが実は脆弱なのだ。

もちろんこれまでの映画も、作品の人気獲得には貢献していた。異次元の狙撃者から顕著になった原作とのリンクや、毎年コナン以外の人物が主役級になる方式が大きな理由であるが、これらは脚本、演出、音楽、美術などの質を大きく犠牲にすることで成り立っていた。

近年のコナン映画の人気はキャラクターに支えられている。映画本体の脚本、演出、音楽の出来がどうであれ、集客に大した影響はないだろう。

黄金時代の到来を確信

黒鉄の魚影は、こうした映画と異なるアプローチを取る。なぜ原作による話の制約がある中で、映画で黒の組織を扱うのかを考え抜き、高い映画づくりの技量を用いて表現することに成功している。

質的な面で大きな転換点を迎えたハロウィンの花嫁に続き、作品としてのコナンのど真ん中である黒の組織でコナン映画を作る意味を示した。

静野監督体制下で冬の時代が続き、その後もファンサービス重視と単に技量不足の監督、脚本家による凡作が続いていた名探偵コナンであるが、この2作によって時計じかけの摩天楼から迷宮の十字路以来の黄金時代が再び到来したと断言したい

組織テーマの映画を再定義した

天国へのカウントダウン、漆黒の追跡者、純黒の悪夢という過去の組織映画3作に共通するのは、犯罪者集団としての黒の組織とコナン陣営の戦いだった。加えて、異次元の狙撃者以降のコナン映画は原作とつながる部分が設定されている。この流れに合わせて、純黒でもこれでもかと本筋と映画を絡ませてきた。

この方針は、コナン作品がメディアミックスとして大きくなるのと同時進行で、自然なことだった思う。問題は、原作とのリンクさせること自体が目的化して、映画そのもののクオリティが著しく下がることだ。

それぞれに事情があることは十分承知しているが、特に純黒の悪夢、業火の向日葵、紺青の拳、緋色の弾丸については、展開が意味不明すぎて「今、何待ち…?」という状態になり、もはや難解にすら感じた。脚本を投げているとしか思えなかった。音楽でさえメインテーマはいきなり最後の大サビかのような始まり方で辟易した。

その中でもなぜか周りを見渡すと大満足の声。暗澹たる気持ちになった。「〇〇は原作では明かしてない」「〇〇は伏線」で大盛りあがり。うん、それ以前に最低限商業映画なのだから満たすべきクオリティがあるだろうと。

天国へのカウントダウンや漆黒の追跡者までは、こだま監督体制によって高度な技術的裏打ちがあった。そもそも本筋との絡みは抑制されていたのでこうした心配をする必要はなかった。

それが、特に純黒の悪夢では本筋と絡ませることが優先されるあまり、作品から謎解きやキャラの掘り下げ要素はほとんど消えた。

キュラソーの改心も、記憶喪失というアクシデントがきっかけにすぎない。灰原が彼女の境遇に同情するのも理解できなかった。果てには元太の博士に対する振る舞い。キャラの魅力を毀損する描写を入れた。たかが本筋に絡めるために。

紛うことなき最低最悪のコナン映画だった。

こうした過去作が持つ持病ともいえる課題にクオリティで答えたのが、前作のハロウィンの花嫁だった。この素晴らしさについたは改めて語る必要もないだろう。

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黒鉄の魚影はこれに加えてもう一つのアンサーを出した。

黒の組織をテーマとした映画を作る意味、それを突き詰めることによって、コナンの劇場版をつくる意味を高らかに宣言した。

原作ができていないことをやる

黒鉄の魚影は、原作とのリンクがあるかとか、原作と比べて新たに分かった新事実はなにか、そういった狙いを考える作品ではないと思う。

この映画を私が最も評価しているポイントは、中盤の終わり、潜水艦から脱出しようと魚雷発射管に入った灰原と直美を魚雷発射レバーを引いて殺そうとするジンに対して、キールが放つ言葉である

「あの少女がベルツリー急行で死んだシェリーなら、なぜ生きてるの?なぜ少女の姿になってるの?そのわけを彼女の口から聞きたくないの?

ーーキール

だいたいこのような趣旨の話である。

このセリフを聞いて、ああ今までのコナン映画とは全く違うアプローチの作品が生まれたと確信した

キールがジンに問いただした内容は、映画内だけでなく原作を含めて、まさに核心の部分である。

ベルモットが灰原の研究に代表されるような組織の本当の姿を反映するキャラなら、ジンは暴力装置としての組織を象徴する人物だ。そのため、ジンは組織の本当の目的もAPTX4869の効果も全然知らない。

だから、灰原が幼児化したことをジンが知ると、なぜ人間が幼児化しているのか、その薬なぜ組織が開発しているのかという疑問を持つことが同時に発生する。

読者が20年近く答えを知らされていない壮大な問いでもある。

キールがジンに迫った言葉は、名探偵コナンの作品を貫く最も大きな謎である組織の活動の真の目的の問いただしたのと同じことだ。

原作でジョディ先生がベルモットに放った「どうして年をとらないの」という言葉があるが、これ以降、原作はこの問いから逃げ続けている。しびれを切らして、今回映画でやった。キールがジンに質した。

これは驚異的だ。

コナンと灰原の関係性を許せない人たち

今回の映画では、どうやらいわゆる「コ蘭」「新蘭」とされる人たちのうち、ごくわずかな極端な考えを持つ人が酷評しているらしい。コナンと蘭の関係を壊すのが灰原というわけだ。気持ちはわかるが、コナン、蘭、灰原の関係性はとても複雑で、今作でも断定的な描写は入れてないわけである。

そもそも、灰原から蘭への嫉妬や恋敵的な気持ちは二元ミステリーで一つの区切りがついている話だ。灰原は蘭を姉・宮野明美に重ねるようになり、灰原の中に蘭にいじわるをしてやろうという感情はもうない*1。個人的にはこうした前提を意識しているので、あのシーンは特に引っかかりはしなかった。

まあ、灰原がコナンのことを好きという気持ちはまだ維持されているので、灰原にはあの状況を奇貨としたいという気持ちがあったのは否めないが。ここもわざわざ明確化しておく必要がない。これでいいのではないか。

このシーンは14番目の標的の直接的なオマージュでもありつつ、「謎めいた乗客」で自らの命に代えて周囲の人を守ろうとした行動を再現した場面でもあった。そのため、少し言葉して出し過ぎだなあとは思うが、コナン作品の観客層を踏まえつつ考えた結果、非言語で説明するのは難しいと判断したのだろう。

 

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今後の劇場版に求められるレベルが高まる

正直、組織編劇場版で黒鉄の魚影のようなことをやると、後の作品は相当なクオリティを求められると思う。これ以降、もうただの組織映画では満足できないかもしれない。

それどころか、原作でさえこの作品の影響を受けるのではないか。

なぜかというと、今回キールが問い質したようなことが、原作でできていないからだ

灰原が使う「彼ら」という呼び方。それにウオッカが「よくシェリーも言っていた。ほんとそっくりだな」。

本来、原作で積み重ねるべきこんな生々しいやり取り自体が原作には全くない。

いつまでたっても原作は進まず、もどかしい気分になっていた原作勢にとって、今回の作品はかなり刺さっていると思う。

原作、正直かなり危ない。奮起が必要ではないか。

あまり言いたくないが、これは青山先生本人が連載ペースを上げる必要もあるし、サンデー編集部もきちんと手を打つ必要があるのではないか。

内輪だけで盛り上がる映画にしていない

ここまで述べてきたこの映画の良さは、コナンを昔から読み込んできた、あるいはアニメや映画を見てきた人にしか伝われない恐れがある。

しかし黒鉄の魚影が素晴らしいのは、古参へのサービス重視のような、単に頭でっかちの作品になっていないことだ。きちんと映画としてのクオリティとおもしろさが両立されているのが本当に素晴らしい。

ここからは、黒鉄の魚影のディテールも含めて振り返っていきたい。

最も感心した点が、アバンタイトルでフサエブランドの限定ブローチを買おうとした灰原の描写だ。

まず灰原がフサエブランド好きであるということが原作ファンに知られているので、ブローチを買いに行くのは自然である。もちろん、これはライト層にまでは伝わらなくても問題ない。

ブローチを購入するには整理券を貰う必要があり、最後の1枚をもらったのが灰原だった。その後、電車でわざわざ来たという年配女性が現れ、購入できないことを残念がる。その姿を見て灰原は女性に整理券を譲る。

この描写では、残念がる女性を思いやりブローチを譲る灰原(しかも譲る理由が素敵)自体で灰原の人物像描写という第一の目的が成立している。

さらにそれだけでなく、それを見ていた蘭と園子が灰原への気遣いとして八丈島行きをプレゼントする。短期伏線の回収である。

そして3つ目は大オチだ。年配女性はベルモットの変装で、ブローチを買えたお礼が灰原を助けた理由だった。

お手本のような二重伏線である。さらに付言するなら、世紀末の魔術師でコナンが蘭に正体がバレそうになったときに怪盗キッドが新一の姿で現れてコナンを助けた理由に雰囲気が似ている。過去作のDNAまで受け継いでいる。

これには感激した。

唸るような脚本や演出が多かったというわけでないが、丁寧な描写や演出を積み重ねた結果、映画としての質がきちんと確保された。だからこそ、映画で伝えるメッセージのブラッシュアップに集中できているのではないだろうか。

キールがらみのシーンが全部いい

今作、みんな一致する意見としてはキールの大活躍だろう。冒頭のシーンからそうだが、直美を潜水艦内に拉致してからは、ウオッカと並んで組織メンバーの中ではかなり主体的に行動することになる。

直美を脅して組織に協力するように迫るシーン。やはりキールの境遇に重ねてきた。ここは非常に苦しいシーンだった。

さすがにここはキールの過去を映像で見せておかないといけないと判断したのか、キールが父を目の前で失うシーンがカットイン。大半のコナンマニアにとっては不要なシーンであるが、それ以外の観客にとっては必要との判断は理解する。まあマニアとしてもも改めて辛いなあと思えたし。

灰原がキールのフードに盗聴器を入れるシーン。もちろんキールは気がつくが、ここはスルー。ロープをわざと緩く結ぶシーンもとても自然。フードの中に入れたのが何かも全く説明されない。コナンを知っている人なら当然何をしているのか分かるわけだが、知らない人でもあとで盗聴器であることは演出で説明されので問題はない。

今回、一連のシーンが全くセリフによる説明なしで成立していて素晴らしい。立川監督が着実に技量をブラッシュアップしているからではないだろうか。盗聴器に関してもも「盗聴器です!」というセンスのない見せ方をするのではなく、灰原が潜水艦から脱出する方法がわからないというコナンとのやりとりを聞いて、キールウオッカに聞き出す形で灰原に伝える。手際が良すぎる。

そして前述したキールとジンの対峙。今作で私が最も印象に残ったシーンだったし、原作にすらない大変貴重なやりとりだったのではないだろうか。

安室、赤井の関与がスマート

コナン、赤井、安室の連携がシンプルで分かりやすい。終盤、コナンがパシフィックブイから退避させないと、と安室に伝えるが、安室は「もう伝えた」とだけいう。次の画面には退避指示を出す黒田が映る。これこそ映画であり、映像表現技法だ。

潜水艦攻撃作戦に出張ってくる赤井はだいたいそんな感じだろって感じ。ちゃんとロケットランチャーみたいな武器を撃っていてよかった。

さすがにライフルだけで海中の潜水艦に対抗するのは無理だろう。在日米軍に関するやりとり、ザ櫻井脚本だった。

外し展開の外し

今作の驚きとして、早々に灰原が組織にリアルに捕まってしまうのである。これはなかなかに挑戦的なことだ。

原作ではこれまで、灰原が「彼らは「私の子供のころの顔をい知っているのよ」とか言っていた。正直リアルの灰原をみたら他人の空似とかシステムの誤作動といったレベルじゃなくて感覚的に同一人物かわかってしまいそうなものだ。

だから劇中、ホテルで扉の前に立っているのは味方側か、少なくとも安室ではないかと思っていた。それが本当にピンガだったのでここは虚を突かれた。ミストレで沖矢が灰原を助けたシーンなどが念頭にあったので、とても効果的な外し展開になったのではないか。

逆に、それはいいのか?と感じたところはある。例えば灰原の「彼ら」呼びをウオッカに聞かせて大丈夫なのだろうか。

老若認証でシェリーと同一人物とされた子供が目の前にいて、実際そっくりで、その子がとても大人びていて、シェリーの言葉遣いにそっくりな状況だと、さすがに幼児化の要素がなくても「まさか…」と思ってしまいそうな気がする。

今回、灰原に関する情報がどこまで漏れたら実際に危険なのかについて一つの例ができてしまった。これをしてしまったことで、灰原がウオッカに顔見られてもいきなり「こいつは間違いなくシェリーだ!」とかいう描写は原作含めてやりづらくなった。

オープニングのバイク映像

もうこういう始まり方ができるだけで応援したくなるってそれは

バイクを走らせていることを、ヘッドライトで地面が照らされることで示す。典型的な表現手法ではあるが、これをコナン映画の冒頭にちゃんと持ってくるという気概に感心した。

冒頭の音楽も素晴らしい。私はドラマ『相棒』もよく見ているのだが、音楽とキールがターゲットのユーロポール女性職員を追う姿が相まって、相棒のアバンタイトルかと錯覚してしまった。音楽は一貫して素晴らしく、とくに老若認証システム起動時の音楽は、なんかこう高揚感もありつつ危険なシステムが動き出すぞというヤバさも感じられた。さすが菅野さん。

男のメンバーはすべて蒸留酒

八丈島に移動し、コナンは沖矢から電話を受ける。ここでコナンがちゃんと「蒸留酒は男性の組織の構成員につけられるコードネーム」と言うのが偉い。原作でもなかなかここまでしっかりやってくれない。

オープニングタイトルのタイトルの出し方も素晴らしかった。昨年から交代した菅野体制の音楽もおしゃれで洗練されているが、今回特に印象的だったのが、恒例の紹介の適切なアップデートだ。

「俺は高校生探偵団工藤新一のくだり」センスのない飾り文字でキャストを紹介するのをやめてくれただけで大進歩だが、いつも差し込まれるこれまでの紹介映像を今回はシルエットで表現したのナイスだった。タイトル全体もテキパキした語りで気持ちよかった。

本編が始まり、コナンはパシフィックブイに入る。今回事件に関わることになるんだなというエンジニアが出てくるが、それぞれがキャラ立ちしていてとても飲み込みやすい。なんとなくだが、こんな人なんじゃないかなって想像がつく。

特に直美さん。キャラデザ良すぎて正直惚れた。ピンガが化けていたグレースの口紅のシーンはさすがにわざとらしかったので、たぶんこの人が何らか関わるんだなとは思った。この辺は暴走検事の外患誘致罪並みのテロに空いた口が塞がらなかったゼロの執行人や、もやは何が謎なのかすらわからなかった緋色の弾丸とは比べものにならないほど登場人物に体温を感じる。

櫻井さんの得意分野

パシフィックブイは水中にある巨大な構造物であること以外ほとんど情報がなく、何人の職員がいるのか、施設内にあるサーバーがやられると老若認証自体が完全に破壊されるのか。クラウド上のシステムではないのか…など、全体像が正直わからないのは作り手側も承知。

中二病っぽさをくすぐる絶妙の美術で個人的にはポジティブに感じたし、この辺はスパイ映画っぽい大味の部分だろうか。

パシフィックブイ局長、ゼロの執行人のテロリスト検事と見分けがつかないのだが、あの官僚っぽさがいい。受け答えがいちいち細かくて正確。日本びいきを疑われても強く否定するところとか、実在感が感じられる。クライマックスでパシフィックブイ退避の決断を躊躇するところも実に人間味がある。

シェリー捜索への考えの違い

もちろんウオッカキャンティ、コルンにシェリー捜索をためらう理由はないので積極行動を主張するが、残りのメンバーは消極的。それぞれが持つ背景を知っていればいるほど、味わい深い理由設定に仕上がっている。

さらにベルの独白もGOOD。ピンガとジンは不仲であることが、最終的にピンががジンに殺されそうだなという引っ掛かりになる。

アクションがこなれてきた

作る映画間違えたか?という格闘映画に成り下がった純黒の悪夢や、巨大構造物の破壊に胸焼けがしていた紺青の拳では、ほとんどアクションを放棄していた。超人的な能力を持つ人がただ暴れているだけである。あれを大真面目にやっているなら作り手はどうかしている。

緋色の弾丸でもアクションやカーチェイスシーンがあったが、今ひとつなにがおこっているのかという理屈の説明が不足していた。その点、今回は灰原が誘拐されたときのカーチェイスも、組織の潜水艦から魚雷が発射されるシーンも、それぞれのキャラがどう動いているのかを補助的に説明する地図や魚雷の位置情報図を活用しており、説明がこなれていた。

見せ方にしても、灰原がホテルから連れ去られるシーン。高級ホテルの吹き抜け空間を挟んで向こう側の部屋から仲間が連れ去られる描写って、もう古くから映像作品の王道である。

こういう構造は真ん中に通路がなくて周囲の通路を迂回しなければならない。今すぐ向こうに行きたいのにすぐにはたどり着けないというもどかしさが演出しやすい。某空手バカみたいにジャンプ1回で向こう側に飛び移られては趣がないというものだ。

駐車場でのコナン・蘭vsキャンティピンガのシーンでは、一旦車の陰に身を隠したコナンが割れたミラーを使ってキャンティの位置を確認するのが小気味よい演出。まあ、このシーンはコナンが新一モードになっていて、そこ蘭姉ちゃん後でつっこまんのかいとは思った。

散りばめられた価値観のアップデート

人種差別よ!と登場人物が直接誰かを非難するなんていうことは過去作では見たことがなかったので、序盤で直美が同僚につっかかるのは新鮮だった。

それだけでなく、その直美ですら、「どうせ子どもにはわからないだろう」という思い込みがあると灰原に指摘される。

まあそれは差別とかではなくてわりと的確な判断なのでは?小1のいうこと真に受けるほうが狂っていると思うところだが、灰原の決意や「私は変われた」という言葉の持つ説得力に圧倒されてどうでもよくなった。こういう腕力描写は嫌いではない。

やむを得ない妥協も想定内

正直、コナンに限らずどこでも通用するなあと感心した演出はそこまでなかったというのが今の印象だ。ハロウィンの花嫁のビルアクションやヘリアクション、コナンが復習の連鎖を止めようとする行動などみたいに唸るようなものは多くなかった。

繰り返すが、ほとんど作り手側も想定内の指摘だろうと思われる。こうしてまとめるのも実に行儀が悪く、忍びないところがあるのだが備忘録的にまとめる。

コナンの灰原奪還作戦が大味

ここはある程度妥協が必要な部分なのだが、今回海中での攻防がメインであるところ、海中は文字通り完全なる闇である。中盤の灰原誘拐シーンでコナンが海に飛び込むが、死ぬ気か?

終盤のアクションも同様で、あれだけ広いエリアなら、外部から潜水艦を発見するのはまあできるとして、まともな明かりなしで人間の目で海中をただよう子どもを見つけるのは無理ではないか。まあ、オープニングで博士が触れた小型潜水艇の自動運転機能が生かされるので100歩譲ろう。

魚雷戦はちょっとわかりにくかったか

この魚雷戦、一部海図などを用いていたとはいえ、実際の戦い方からはデフォルメされているのに加えて、ソナーやデコイなどの用語が唐突に出ているので理解に苦労したとの意見が多い。一応説明はされるが、ここはもっと丁寧に説明したほうがよかった*2

ただ、前述したカーチェイスと同様、図を使って今何をしているのかを伝える工夫は感じられた。魚雷が炸裂する時の描写や、空気中ではなく水中で爆発することの危険性もコナンがざっと説明してくれたので、わからせようという意志は感じた。

ピンガ絡みが全体的に練り上げ不足では

ピンガに絡むシーンが全体的に物足りなかった。まずキャラクターデザインがダサい。なんだその髪型は。風貌は漆黒の追跡者のアイリッシュみたいな雰囲気のほうがよかったと思う。

既視感があるなと思っていたのだが、今回のピンガのキャラデザって、探偵たちの鎮魂歌でコナンや服部を襲ったバイク2人組を足して2で割った感じだ。

だいたい、ピンガはなんでわざわざディープフェイクまで使ってエンジニアのレオンハルト氏の殺害場所を偽造する必要があったのかわからん。普通に部屋で死んでもらったまま放置したほうがよかっただろう。あの混乱ではレオンハルトが行方不明でも対応は後回しにされただろうし。

さらに、ピンガはなんでコナンの正体を疑ったのか。場違いな子供が来ていることが気になって老若認証にかけてみたということなのか。このあたりも説明されないのでよくわからない。

もっとパシフィックブイを守れよ

パシフィックブイのシステムに侵入されているのに、来るのが刑事部捜査一課の刑事だけってどういうことなんだ。というか黒田は白鳥を連れてきている以上捜査一課管理官として施設の視察にきたわけだが、なんで警視庁の刑事部が来るんですか。来るのは警察庁のしかも公安部であるべきだろうし、もっと言えば法務省公安調査庁、外務省のようなインテリジェンスに絡む省庁から数十人体制で来るべきだ。

それが強行犯係のヒラ刑事数人しかこないってどうかしていると思う。警部って係長でしかない。櫻井さん脚本はゼロの執行人でも「大人向け映画」と銘打つも、けっきょく現実にある難しい要素を配置しただけになっているので、ここは残念。公安部の刑事が一人でもきたり、ちゃんと施設の周りは機動隊が監視しているといった描写をいれるだけで違ってくるのに。

発想は面白いけど

世界中の防犯カメラをつなぐ発想は自然である。「相棒」でも出てきたし、最近だと「AI崩壊」*3という映画でも同様のシステムが整備されていた。

でも今のトレンドってハードウェアを1カ所にあつめて管理するのではなく、世界中で分散して管理する方式ではないか。システム自体はクラウド上にあるケースもある。そもそも防犯カメラにアクセスするだけで、膨大なデータを実際にサーバーにためているわけではないはずなのに、どうして海水で冷却が必要なほどのデータを扱う必要があるのだろうか。

コメディ枠おっちゃん

張り詰めすぎた場面を緩めるおっちゃんの姿は今回も概ね効果的に働いていたが、一部さすがにうざっとなったところも、灰原が誘拐されたシーンで蘭に叩き起こされてもまともに機能しないのはイラっとした。

直美父にイライラっ

早く隠れろ、外で大きな音がしても普通窓の外見ないよ。死ぬ気か。

エピローグまで最高

エピローグも素晴らしかった。本作で冒頭から気になっていたのが、組織によって殺されてしまったユーロポールの職員の女性。ジョディの友人だった。ああ、ここが回収されていればなおよかったなあとエンドロールで映画を振り返ったその直後、ジョディが墓参りをするシーンが入り、思わずわかってんじゃんと呟いてしまった。直美の父が助かるシーンの見せ方もスマートだった。

そして、安室とコナンの会話。ベルモットシェリーに変装してシステムを混乱させたとの説明を受ける。

コナン「なんでベルモットはそんなことを?」

安室「君なら心当たりがあるんじゃないかと思ってね」

ふうっ!!痺れるやりとり。もちろんコナンは心当たりがある。ミステリートレイン編で有希子はこう言っている

有希子「シャロンの仲間、知らないんじゃない?新ちゃんやあの子が薬で幼児化してるって事…」「捜索対象を小学生に絞れば見つかるのは時間の問題なのに…」「新ちゃん、言ってたわよ…」「薬で幼児化してる事を隠す理由があなたに何かあるんじゃないかってね…」

ベルモット「……」

78巻ファイル6

最後の仕上げまで原作を完全に乗っ取った。

そして前述した通り、冒頭の年配の女性がベルモットだと回収される。映画としても美しい。

ここまでやってくれるとは

様々な制約があっても、ファンサービスやキャラ人気だけに依存しない、100分を余すところなく活用して映画として評価されることを実現したことが、前作ハロウィンの花嫁の大きな功績だったと思う。

今作では、そうした映画としてのクオリティへの影響を最小限に抑えつつ、劇場版でこそできる組織編映画が完成した。その結果原作でできていないことを映画で達成してしまった作品だ。

コナン映画新時代、2024年の作品は3作目である。服部平次と和葉のカップルに回答キッドの組み合わせは正直極めてキャラクター映画化しやすいので不安であるが、前回、組織映画をやると聞いたときも同じことを思った。

来年の作品でも、これまでとは別次元のキッド映画、服部平次の活躍を1本の映画で味わえることを願っている。

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*1:修学旅行編でなかなかAPTX解毒薬を渡さなかったのは若干意地悪の感じもあるが、それ以上に修学旅行編プレストーリーを作るというメタ的な事情が影響しているような気がする

*2:潜水艦の戦闘に関しては沈黙の艦隊が必修科目。魚雷が海中で爆発したらどんなかんじになるかはハンターキラー等でもわかる

*3:駄作中の駄作でした。入江悠監督、体調悪かったのかな?