コナン映画全27作レビュー【ランキング付き】

本稿では、名探偵コナン劇場版のレビューとランキングをお届けしたい。なにかとランキングを付けたがるのが人間だが、記事を書き進めていくうちに、ランキングより全作レビューとしたほうがいいなと考え直し、公開順に感想を書いていく。

いちおうランキングもつけたので、ご関心のあるかたはご覧ください。

以下、まずコナン映画についての全体的な話が続きます。飛ばしてレビューから読まれたい方はこちらへお願いします。

コナンは劇場版に依存

名探偵コナンは原作漫画、アニメ、映画がメインコンテンツで、それに付随する書籍やグッズ、コナンを活用したイベントなど、かなり幅広いメディアミックスだ。

ただ、その中でも映画は別格。毎年、150億円以上の興業収入をたたき出し、関連する事業の収益も合わせると他に比肩するコンテンツが本邦では見当たらない。小学館読売テレビ日本テレビ東宝にとって、映画が最も重視するコンテンツになるのは当然のことだ。

逆にいえば、コナンは映画一本足打法。映画の出来さえよければ、原作やアニメに相対的に力は入らなくなるのは現実としてある。アニメオリジナルでときどき、作画の質が低下することがあるが、アニメへ割く経済的、時間的余裕が作り手にないことが影響しているのではないか。

定量的な評価は難しいが、実際、原作までつぶさに追っている層はそんなに多くないのが現実だろう。

また、コナン単行本の売れ行きや、サンデーが発売される毎週水曜日のSNSでの話題の量などでも、原作への関心がいまひとつであることを感じる。コナンの連載は、青山先生本人も「昔は週刊連載でしたから…」と口にして、現在は季刊連載と捉えている*1

その分、映画を作る側には大変なプレッシャーがかかることになる。コナンはもはや20年前のように、興業収入10億円で成功と思ってもらえるような作品ではない。100億円超えが当然とすらされる。

人気が出るほど多様性は減っていく

あらゆるコンテンツは、オープンになる、つまり人気がでていろいろな人に認知されるほど、ほど多様性が減っていくことは避けられない*2

コナン劇場版はそれが色濃く反映されている。無邪気に映画としての質の向上に力を入れて作れていたのは、私たちが考えるよりもずっと初期の作品までだったと思われる。

その点は、近年のコナンを評価する際に念頭に置くべきだと考える。

例えば推理要素が軽視されてアクションやキャラ映画化しているという点。傾向としては私も同意であるが、それは結果であって「アクション重視映画にすること」とイコールではないことは承知している。

確実に言えるのは、コナン映画をつくる際のあらゆる選択肢は、年々限られてきているということだ。

そもそも推理要素とアクションの境目には広いグラデーションが存在する。ある人が推理要素と感じることが、別の人にとってはアクション要素になることもある。「キャラ映画」と「物語映画」との対比でも言える。

結局、それぞれの要素の増減は個人の主観でしかない。その分、個人間で「あなたの考えは違うと思う」と感じることも生じるだろう。

だから、本稿でも「アクションに振った」「重厚な推理要素」という評価をしている作品があるが、それは私の主観。読んでいただいている皆さまが違う考えであることもあるだろう。コンテンツを評価する際には避けられない事象だ。

はい、エクスキューズ終わり!!

お待たせしました。では、公開順でレビューしていきます。

第1作 時計じかけの摩天楼 (1997年)

監督 こだま兼嗣 脚本 古内一成

記念すべき劇場版コナンの第一作。シンプルという評価が最もふさわしい作品ではないか。

実質、犯人が当初から示されるサスペンス形式で、コナンと1対1で対決。鉄道が一定のスピードを下回ると爆発物が作動するというのは、もちろん「新幹線大爆破」からの引用だが、このトリックに非常に納得感がある。

犯人・森谷帝二の動機も傑出している。自身が過去に設計した建築物が美学に反するから破壊するという潔よさというか大胆さ。近年の劇場版の犯人は逆恨みや無用に思想犯化していることもあるのだが、森谷はキャラクターとしての魅力にあふれている。

初めての劇場版にして、蘭の新一依存症は手に負えないレベルになっているが、蘭が赤いコードを切らなかった理由がとにかく美しく、最高の後味を残してくれる。第一作とは思えない完成度だ。

第2作 14番目の標的 (1998年)

監督 こだま兼嗣 脚本 古内一成

トランプのカードに関係する小五郎の知人が順に殺害されていくという見立て形式の作品だが、同時に毛利小五郎と妻の妃英理の過去を描写。現在の毛利蘭と新一を重ね、最終盤に事件解決と小五郎の行動の真相が同時に解決される美しい作品となっている。

海上レストラン施設に閉じ込められてからの緊張感や、犯人が最も殺害したかった相手を殺しに行く際、光る扉の向こうから現われる演出の不気味さも相まって、全体的に緊張感が続く。

沢木公平の同情を禁じ得ない動機と、犯罪計画をスタートしてからの恐ろしさも、まさに黎明期コナンである。

なお、このあとベイカー街の亡霊まで同じことを言うのだが、黎明期はタイトルが素晴らしい。14番目の標的は蘭であり江戸川コナンであり村上丈でもあるのかもしれない。

第3作 世紀末の魔術師 (1999年)

監督 こだま兼嗣 脚本 古内一成

この後の作品のパターンの一つとなる歴史物の出発点と位置付けられる作品。「世紀末の魔術師」って、19世紀末と20世紀末をひっかけた、こんな美しいタイトルが実在したとは…それがロシア帝国の皇帝一家にまつわる話にしたのが渋くて気に入っている。

それだけでなく、怪盗キッドの初登場作品としての華やかさや、当時の原作ではまだこすられていた、「コナンの正体バレ」を最終的なオチに置いたのが特徴「限界、だな…」と漏らすコナンの表情は何度見ても胸が痛む。こうした要素がお互いに干渉することはなく、完全に調和した作品。

白眉は、城の中でメモリーズエッグを発見し、エッグを通して壁面に次々写される家族の写真の圧倒的な美しさと、その後始まるスコーピオンとの攻防の緊張感だろう。右目だけを強化ガラスにして犯人と対峙するコナンの大胆さに惚れ惚れする。

第4作 瞳の中の暗殺者 (2000年)

監督 こだま兼嗣 脚本 古内一成

王道系のコナン映画としては本作こそ最高の一作と言えるかもしれない。

とにもかくにも、タイトルが素晴らしい。佐藤刑事を殺害しようと拳銃を向けた犯人を蘭は目撃しているが、それが強いショックとなり記憶喪失に。文字通り、犯人は目撃した蘭の瞳の中に閉じ込められているのだ。蘭が繰り返し命を狙われることで、蘭の記憶を取り戻すことと、犯人を見つけることが並行して進む。これ以上のタイトルがあるだろうか。

もう一つ素晴らしいのが、犯人が硝煙反応を消したトリックと、新一と蘭の思い出とを完璧にリンクさせ、蘭が記憶を取り戻すことと、犯人に追い詰められたコナンと蘭が窮地を脱することを一つのシーンで説明した点だ。どうやったらこんなにすごいことを思いつくのだろう。

ディテールでいえば、灰原の蘭やコナンへの態度。このまま蘭の記憶が戻らなければいい、私だって記憶をなくしたい、という灰原の虚実ないまぜの発言と、犯人制圧後に「よかったわね、とりあえずわ…」と声を掛けるのがぐっとくる。

さらに、病床に伏せる蘭の枕元で一人涙を流す園子にはもらい泣きしそうになる。2人の友情は損得なし。原作の「お金で買えない友情」でも触れられている通りだ。

第5作 天国へのカウントダウン (2000年)

監督 こだま兼嗣 脚本 古内一成

初めての組織映画にして、灰原を事実上の主人公にしたスリリングな作品。灰原が原作で登場してから日が浅く、灰原が作中のキャラにとっても、また読者にとっても信頼に足る人物かどうか揺らぐ中で作られた。

同時期に連載された原作「命がけの復活」で灰原が組織側に寝返ったかと思わせる描写があるのが状況をよく示している。予告では「任務は完了したわ」というような釣りセリフも入っている。

本作はこれを逆手に取ったわけだ。「灰原は本当は敵ではないか」というベル編における読者の疑念を利用してカタルシスを高めている。

黒の組織と灰原の攻防に、少年探偵団の3人による灰原への純粋な愛情が加わるのがすごくよい。それらは、エレベーターを赤ちゃんと母親に譲る探偵団の姿や、中盤にコナンへの恋心が抑えられない歩美、灰原と歩美の間で揺れる気持ちに戸惑う光彦という、小学生らしい好き嫌いの苦悩の展開によって一層魅力的に映る。

80分を費やしたこうした描写は、キャラクター造形に深みを出し、ラスト10分のビル脱出シーンで生きてくる。

天国へのカウントダウンとは、灰原に死が迫っているという意味とビルの屋上からカウントダウンで脱出する探偵団の綺麗なダブルミーニング。灰原を連れ戻す元太、車から落ちそうになる灰原の腕を掴む光彦、秒数を数える歩美。演出が完璧すぎて、作り手がキャラクター1人1人を大切に考えていることがよく伝わってくるのだ。

第6作 ベイカー街の亡霊(2002年)

監督 こだま兼嗣 脚本 野沢尚

コナン映画、あるいはアニメ映画の枠を越えてしまった、日本映画史に輝く大傑作。

「血」をテーマに、先祖の罪に対して子孫はどう責任を負うべきかや親子の関係性のあり方、世襲の是非にまで踏み込んでいるが、それらは一切、破綻することなく劇場版コナンの範疇で描写されている。さらにはクライマックスでコナンらがゲームをクリアする方法にも「血」を関係させる。

この作品に出てくる要素はすべてタイトルにあらかじめ示されてもいる。ベイカー街の亡霊とは、ノアズアークを開発したヒロキくんの亡霊、19世紀末のロンドンにいたジャックザリッパー、あるいは彼の血が死してなお亡霊として現代にまでつながっていることを示してもいる。

こうした優れた脚本だけでなく、コナンがゲーム中に脱ぎ着するジャケットの意味合い、諸星少年のジャケットが赤い理由、少年探偵団と二世少年らのグループとの対比などの演出、19世紀末のロンドンを彩る美術と音楽。あらゆる点で神業であるとしかいいようがない。

この作品が偉いと思うのは、映画の「アート化」、ここでは「ある程度映画を見慣れた人や作り手同士で評価が高いような作品」と定義するが、そうしたことを優先するのではなく、あくまで年に1回しか映画館にいかないような人でも楽しめるような映画をつくっていることだ。

単純だけどトリックや動機が作り込まれたメインの事件、コナンらが入り込むコクーンの世界観。どれをとっても地に足がついている。

とくにこだま監督体制下での作品でこうした工夫が実現されているが、近年でもハロウィンの花嫁や黒鉄の魚影で見て取れるように、まずは映画の基本の質がものすごく高くて、頭でっかちな作品になっていない。

キャラクターの行動について、原作とは距離を置いているように見える本作であるが、灰原がゲームから退く際にコナンに掛ける言葉や、新一から聞いた言葉を思い出して、走る列車から飛び降りる決意をする描写は、むしろコナンの話が進んだ現在のほうが深みが増しているかもしれない。

終盤、ゲームから離脱してしまう灰原がコナンに「ホームズがいないのなら、お助けキャラはあなた」と声をかけるが、予告段階のセリフは「あなたが私たちのホームズなんだから」。青山先生の修正と思われるが、天カウを経て少し距離が縮まった2人の関係が見て取れる。

一部界隈でこの映画が批判されているが、コナン映画がどうあるべきか、どんな世界観であるべきかの意見の違いは当然ある。ただ、1本の映画作品の質と日本映画に残したものとしてみれば歴史的名作であることは疑いようもないではないか。

第7作 迷宮の十字路 (2003年)

監督 山本泰一郎 脚本 古内一成

平次と和葉を主人公にした初の劇場版であり、かつ世紀末の魔術師のような歴史物の雰囲気も感じる。

義経記の所持者が殺されるという事件自体は見立て形式で新鮮味はないが、事件の捜査や犯人との攻防が京都の歴史と町並みと美しく連動している。前作のベイカー街の亡霊から続き、目でも楽しませてくれるではないか。

平次が自分を助けに来てくれると信じる和葉の様子と、新一を夜まで待つ蘭を重ねたことで、カップルの瑞々しい関係を描写する、コナンのラブコメ要素が的確に反映されていると思う。

義経になりたかった」と、狂った動機を披露する犯人の豹変ぶりや、中盤のバイクでの犯人追跡やクライマックスの桜満開の寺での犯人との対決も緊迫感と立体感が感じられる。服部が妖刀・村正を手に取るシーンが特にお気に入りだ。

第8作 銀翼の奇術師 (2004年)

監督 山本泰一郎 脚本 古内一成

劇場版にもかかわらず、起きる事件のショボさが気になる一作。前半は特に事件という事件が起らず、キッドが演劇会場から逃走するだけで終わるし、後半が飛行機のコントロールアクションに費やされており残念だ。

コナンらが乗る飛行機のために函館空港が甚大な被害を受けているのも、ご都合主義が行き過ぎている気がする。埠頭に着陸するというアイデアは面白く、うまく着陸できるようにキッドがパトカーの光を誘導するのも面白かったが、このゴールのために脚本や演出が無理をしたという印象が拭えない作品だった。

第9作 水平線上の陰謀 (2005年)

監督 山本泰一郎 脚本 古内一成

閉鎖された客船の中での事件発生という王道作品。小五郎が真犯人を特定したことに当時驚いたが、最後のシーンだけ急に推理力がブーストし、それまでに「実は小五郎は独自に真相に迫っているのか…?」といった描写が丁寧になされていればよりよかったが、それでもかっこよさが勝る。

犯人を突き止めたのが妻の英理に似ていたから、という理由もおしゃれ。小学生時代の生意気な新一と蘭の関係は代替しがたい尊さがある。

「なぜ父ちゃんと母ちゃんは喧嘩するけど仲がいいのか」と問う元太に「思いやりがあるから」と答える博士が優しい。残念ながら元太少年をはじめとする3人には伝わっていなかったらしい*3ので、何千回も聞かせてあげないといけないな。

真犯人のトリック自体はさすがにうまく行き過ぎだろうと思う。殺人計画が成功する可能性はどうなんだろうか。そんなに恨んでいるのなら、夜道を襲ってボコボコにして、船の船首に磔にでもしたらどうか。

アホな理由で船に戻る蘭、これで犠牲者が出たら重過失傷害に問われてほしいくらいの行為だ。いくら探偵団がくれた大切な贈り物であっても、命を張るに値するものではない。蘭のせいでいったん気を失った消防士が、最後にコナンに手をさしのべてくれるのは救いだ

第10作 探偵たちの鎮魂歌 (2006年)

コナン映画10作品目を記念してオールキャストで作られた作品。派手な見どころはなく、事件も少なめだが、個人的には大好きな一作。コナンと小五郎がきちんとペアを組んで、犯人側から提示された暗号を解いていく作業が丁寧で見どころも多い。

探偵たちの鎮魂歌でコナンと服部が出会う路地

行動範囲も横浜、みなとみらい地区と限られているが、古びた洋館、馬車道、埠頭などと移り変わっていく町並みは、多くの人が実際に観たことのある風景だろう。登場する服部、白馬探、キッドらが無理なく織り込まれており、実はすごく高度なことをやっていると感じる。

一連の犯罪に漂う、ダークというか色があせて地味だけど、人間関係を凝縮したような実在感のある雰囲気もよいし、犯人の狂った動機も初期作品と比べても遜色ない。大人のほうが「愛する人と秘密を共有し犯罪を行う」という犯人の動機には共感するのではないか。

さらに、小五郎が英理に相談してまで捜査を続け、事件についてポンコツではなくなる姿や、爆弾から少年を守る横溝(助けたガキがすぐにどっかにいってしまうのはイラっとするが)、探偵団の中の良さや灰原の思いやり、園子の大胆さと佐藤刑事、高木刑事のコメディみたいなやりとりも小気味よく織り交ぜられた作品。

いまのキャラ数ではもう全員登場させるのは難しいだろうから、後世になって評価が上がっていく作品だと思う。

第11作 紺碧の棺(2007年)

監督 山本泰一郎 脚本 柏原寛司

事件自体は工夫に乏しく、真犯人も怪しいなという人は1人しか出てこないのだが、世界観は大好きな作品だ。名探偵コナンは漫画原作である以上、友情や思いやりはテーマとして外せない。蘭と園子を名海賊コンビニ重ねた様子には心を打たれる。

クライマックスの海中宮殿脱出時の蘭とコナンの雑なラブコメはあまり好きでないのだが、脱出に成功し、海面に出た船の美しさが相殺してくれる。現実にこれがあれば、世界遺産になってもおかしくない宝物だと思うが、自己中心的な盗賊2人のせいで人類の宝が不遇な最後となったのは残念だ。

指紋採取に成功する高木刑事、民宿のご主人による味のある振る舞いなど、脇役たちの描写に多様性があって飽きない。

第12作 戦慄の楽譜 (2008年)

監督 山本泰一郎 脚本 古内一成

劇場版で正面から音楽をテーマにした唯一の作品ではないか。ゲストキャラのヒロイン・秋庭怜子さんの美しさがとにかく魅力的。休日に自宅で髪をおろす姿とか、、、(以下自粛)。意外とこういう大人の美女キャラはコナンでは珍しいので貴重だ。

犯人・譜和氏の耳の調子がよくないことに堂本氏が配慮したことの行き違いが悲劇を生んだが、こういう「殺す前にまずは問いただせよ!」というツッコミはナシにしてほしいのが正直なところ。

あと、いくら防音が聞いたホール内とはいえ外であれだけボンボン爆発してたら、さすがにわかるでしょ。防音は振動が発生しないというわけではないからね。

ただ、クライマックスで犯人と対決する際、灰原がリコーダーでコナンに「狙撃」と伝えるのも音楽を絡めている。人のものを勝手に飲む元太も反省していて、誠実な映画。ラストでコナンのバイオリンのクセを新一だと勘違いしちゃう蘭、幼き日に土手で怜子さんと出会った2人の思い出も美しい。

第13作 漆黒の追跡者(2009年)

監督 山本泰一郎 脚本 古内一成

天国へのカウントダウンと比べて組織の関与を強めた作品。今回狙われるのはコナンだが、組織に直接の関係ない表の事件と裏の事件という点も同じ構成だ。

個人的にはアバンタイトルが最も印象に残った作品。このシークエンスの恐怖感は圧倒的で、劇場で見ていてとても怖かった。

これまで、コナン作品では黒の組織の存在すら認識しようとしなかった警察関係者に、その存在を勘付かせた点が嬉しい。それも、警察関係者の中でも一定の推理ができるキャラとして位置づけられている佐藤刑事に気づかせた点が適切。阿笠博士のギャグが松本管理官の監禁場所のヒントにつながる点も好き。

ただ、7人も殺し、極刑も不可避の凶悪事件の動機が、犯人の思い込みというのはいかがなものか。妹が救った人たちを兄が全員殺すのは気分が悪すぎる。ご都合主義として仕方のない部分はあるにせよ、殺す前に関係者を問いただすのが普通だろう。

第14作 天空の難破船(2010年)

監督 山本泰一郎 脚本 古内一成

新一=キッドという、いまさら本気にするキャラがいるわけがないことを真剣にやってきた迷作。飛行船の窓から犯人グループに落とされたコナンを救ったキッドをみて「新一…」という蘭には失笑してしまった。

ただ、ウイルスが実際には飛行船内ではまかれておらず、最初に症状が出た男がボスだったというオチは古典的で気が利いていた。中盤の飛行船内のコナンとスケボーアクションもかっこよかった。

第15作 沈黙の15分(2011年)

監督 静野孔文 脚本 古内一成

アバンタイトルの地下鉄爆破が盛り上がりの頂点で、それ以降、ダムだけでなく脚本もどんどん壊れてしまった駄作中の駄作。一連の犯行のきっかけとなった銀行強盗を隠すという出発点で、日本現代史に残るテロ事件を働くことが釣り合っていない。

クライマックスでコナンが雪崩に巻き込まれ、新一症候群を発症した蘭に助けられるシーンなどは真剣にみていいものか悩む。だいたい、小学1年生のガキがスケボーで走るだけで起きる雪崩ってなんなんだ。

雪の中に自分と新一が電話で話した内容がメモされているからといって近くに新一がいると思い込み、一人で機嫌を損ねている蘭には絶対に近づきたくないが、本作で評価されがちな、「言葉は刃物」というコナンの説教も嫌いだ。

水平線上の陰謀で、元太が「父ちゃんと母ちゃんはなぜけんかしても仲がよいのか?」と問い、阿笠博士が「思いやりがあるから」と答えるシーンのほうがよっぽどよいのではないか。

中盤、コナンと灰原がスケボーでいちゃつくシーン以外見どころがない。

あと、メインテーマについて。この時期のメインテーマが大野克夫氏が担当した「太陽にほえろ」のテイストが濃すぎて正直かなり苦手だ。また、絶海の探偵〜業火の向日葵あたりのメインテーマのイントロで「デーデン、デーデン、デーデン」みたいな感じにどんどん音階が上がっていくようなのも好みではなかった。から紅の恋歌以降、すっきりしたイントロになったのは大歓迎だった。

なお、本作は静野孔文氏の初監督作品だが、コナン映画に参加するにあたってこう語っている。

大人向け、子ども向けということではなくてですね、私が名探偵コナンの劇場(版)に監督として呼ばれたのは、より多くの観客に映画を楽しんでもらいたいということで、プロデューサーに依頼を受けたので、今の市場にあった最も最適なフィルムの形というのが、私が監督をしたフィルムになっています。ですので、大人向け子供向けというようなジャンルの考え方ではありません。

(中略)

実績からコナンをより多くのファンにもっと観てもらえるようなかたいのフィルムにしてくれということで参加させていただいています。

(中略)

私が得意とするハリウッドで行っているシナリオ開発の、そういった流れを組み込んでほしいとプロデューサーにお願いしまして、それは面白いとプロデューサーも納得していただいて、取り入れてました。
日本のシナリオっていうのは、やはりシナリオライターと監督、その2人がフィルムを完全に左右する、その2人だけで決めるようなシステムが多いんですけれども、よりエンターテイメントの高い興行成績を狙ってほしいという依頼だったので、より多くの方たちにアドバイス、アイデアをいただくというシステムに作り直しました。それによってより多くの観客を取り入れることが可能になったんだなと自分では思っています。

静野監督チャイナインタビュー - ニコニコ動画

確かに、静野氏が担当した7作では一貫して興行収入が伸びた。だが静野氏ご自身の工夫がどのくらいそれに影響したのか、評価するのは難しい。コナンは固定ファンがなかなか離れない。毎年新規ファンを抱えれば興行収入は伸びる。正規料金で見るのか、各種割引料金で見る割合の変動を十分考慮する必要がある。

もしこのシナリオづくりのノウハウが適切であれば、11人目のストライカーのような脚本の映画が商業映画として世に出ることはおよそ信じがたい。

また、このあと静野氏監督作への低評価が続くのであらかじめ言及しておくと、冒頭に指摘したように映画の要素アクションなのかミステリーなのか、あるいはその他なのかという境界は幅広く曖昧だ。

だが、静野監督作品がアクション重視だったのはさすがにファクトと考えても差し支えないのではないか*4

この姿勢は、私としては「職人」とは対極にある映画づくりの姿勢だと思う。この考えが正しい/間違いという二元論では評価できないのだが、映画はメディアであり芸術でもる。多くの人にリーチすることと、映画作品としてのクオリティが両立することは、後年の2022年、23年の2作品が強烈に示しているではないか。

第16作 11人目のストライカー (2012年)

監督 静野孔文 脚本 古内一成

この作品も真剣に映画を作ろうとしていない不誠実な態度が目に余る。また勘違いで小五郎を恨み、あちこちのスタジアムの鉄骨やクロスバーに爆弾や爆弾のスイッチを仕掛け、内乱罪並みのテロを起こす犯人には呆れる。そんなにいろんなところに爆弾仕掛けられるのは才能だから、建築職人にでも転職したらどうか。

一刻を争うときに、サッカーごっこをやってボールを回す探偵団にもうんざり。劇中で探偵団をどう描けば「友情」や「思いやり」が伝わるのか、天カウですばらしい描写を見せていただいた古内さんの手腕はどこへ。

やはりゲスト声優の使い方は相当悪質だと思う。もちろん、キャスティングした側に責任のほとんどがあるのはいうまでもないのだが、声優をしたサッカー選手たちが日常会話よりもさらに低いテンションで話していて、もう少し真剣にやってくれと思った。古畑任三郎ファイナルに出演した際のイチローを見習ってほしい。

第17作 絶海の探偵(2013年)

監督 静野孔文 脚本 櫻井武晴

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相棒の脚本を担当していた櫻井武晴氏が初めてコナン作品に参加した作品。前の天空の難破船から本作直前の11人目のストライカーまでが、個人的には名探偵コナンの低迷期だなという印象がある。

演出や脚本の練り上げ不足、静野監督よる極端にアクションに偏った作家性などが原因と考えているが、本作は櫻井氏の脚本力で、こうした作品とはレベルが一つ上がった作品と感じている。

親と子がなんらかの理由で離ればなれになってしまい、偽物の親が子どもを連れ去るというのはコナン作品にも限らずよくあるパターン。北朝鮮らしき国からのスパイ「X」が最後まで暴れてばかりの単なる悪人で、北朝鮮とも明示されないのは仕方がないか。

真犯人がこうしたスパイのような極悪ではなく、普通の人がなんらかのボタンの掛け違いで犯罪に関わってしまうというのは、相棒時代から櫻井氏が得意とするプロット*5。ただ、人が死んでしまったケースでも傷害致死だったり、正当防衛、あるいは犯罪の立証が現実には難しいのではと感じることがけっこうあるのが愛嬌か。

今回も職務執行中の事故。犯人は犯罪を隠蔽したのはまずかったが、こちらは起訴猶予処分になる可能性もあるし、笹原氏の転落については本人がいうような業務上過失にすら該当しないのではないか。

第18作 異次元の狙撃手(2014年)

監督 静野孔文 脚本 古内一成

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エピローグで沖矢昴が赤井秀一の声で「了解」と発することを最大のゴールにした作品だが、実はメインの事件も重厚で作り込みも力が入っている。

軍人として優秀なスナイパーだった「最初の犯人」であるハンターは、服務規定違反を仲間からなすりつけられた結果命を狙われ、狙撃が満足にできなくなったわけだが、弟子であるケビン・ヨシノに自分を殺すよう命じる流れは、狙撃手としてのプライドと後輩への思いやりが感じられる。古内一成脚本のDNAがこの作品で潰えてしまったのはかえすがえすも悔やまれる。

FBIと日本警察との合同捜査だが、FBIは自国の元軍人が日本で人を殺しまくっているのだからもうちょっと真剣に捜査してほしい。最後のコナンのスケボーアクションタワーでの蘭と犯人との乱闘は若干ファンタジック。そこまで暴行する必要はあるのだろうかというのは正直なところ。

ちなみに本作の予告詐欺も有名で、最初の予告では「工藤新一、遊びは終わりだ」、その次の予告では「遊びは終わりだ、名探偵」と犯人が発するが、これらの発言は本編には一切ない。

第19作 業火の向日葵(2015年)

監督 静野孔文 脚本 櫻井武晴

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ゴッホの「ひまわり」をモチーフにした作品で、うまく生かせば歴史とミステリーを組み合わせた作品にできたのだが、製作過程の混乱が最後まで響き、作品全体が破綻してしまった残念な作品。詳細な経緯は諸説あるので、ソースが確実なところから静野、櫻井両氏の発言を引用する。

今回、業火のひまわりに関していろいろ質問していただいてるので、この作品に関して面白いエピソードがあったので、お話させてもらうとですね、もともとできあがったシナリオから、監督、プロデューサー原作の力ではどうしようもない力が、圧力がかかったときにですね、シナリオを変えるとか、ゴッホの謎について、そういった部分を消去しなければいけないとか、ミステリーを削らなければいけないという、急きょシナリオを変えるということが今回10回ほど起こったんですけれども、どんな状況でもですね、監督っていうのはギリギリでシナリオを変えられたとしても、ファンの方たちに楽しんでもらえるような映画作りにもっと徹しなければいけない、そういった強靭な精神力と応用力、ミステリーのアニメなのに、ミステリーを削れと言われても、ゴッホのアニメなのに、アートミステリーなのに、アートに触れるな、というような命令が来たとしても、一つの映画として楽しめるようなものに作り上げるという対応力っていうのが、あとは精神力ですね。そういったものが一番必要なんじゃないかなと思っています。

静野監督チャイナインタビュー - ニコニコ動画

2015年の『業火の向日葵』です。じつはこのとき、大人の事情があって、脚本のほとんどのミステリー要素が使えないという事態が起きてしまったんですね。当然、制作スタッフは大パニックになったんですけど

赤井一家(ファミリー)はなぜ集結したのか――劇場版『名探偵コナン 緋色の弾丸』制作秘話を脚本家・櫻井武晴が語る

ということであり、さすがに静野氏が気の毒である。ミステリー要素を削りアクションに傾倒していったのは、静野氏だけの影響でもないのも、また事実だ。

第20作 純黒の悪夢(2016年)

監督 静野 脚本 櫻井武晴

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推理系漫画作品としての誇りを捨て、アクションに全振りした一作。アバンタイトルのカーチェイスの作画や演出は迫力満点だったが、それ以外のあらゆる脚本、演出、音楽が暴走しており、映画としての体を成していなかった。

映画の形をしたゴミである。

アクション要素を重視するのが悪いと言っているわけではない。結局、そのアクション全振りの映画ですら、作り手として大切にするべき作品へのリスペクトや、成果物を対価を得て外部に納める際に持つべき誠実な態度が完全に欠落している。

こうした点が満たされていない映画は他にもあるかもしれないが、この作り手らは、基礎的な映画を作る素養も足りない。

なんの物語的工夫もなくキュラソーと探偵団が出会うのは百歩譲ろう。その後、キュラソーが探偵団に心を開いていく様子が雑すぎる。なぜ警察庁に侵入するような極悪の組織構成員が突然小学生と接して改心するのか納得感のある描写もない。記憶喪失で性格って変わるんですか?

その他にも、スパイの疑いがあるからといきなり仲間を殺そうとするジン、一刻を争う状況で私怨を炸裂させ、爆弾への対処より決闘を優先する赤井と安室。決闘が普通に行われていた中世ヨーロッパにでも行ったらどうか。

制作陣全体で作品のブラッシュアップに取り組んでいない点が腹立たしい。結局、作品の質より、その作品が名探偵コナンというコンテンツの拡大にどう利用できるかを最優先している。

名探偵コナン製作委員会に入っている小学館読売テレビ東宝、そして大変恐れ入りますが青山剛昌氏を含めたすべてのステークホルダーによる共犯だと思う。

正直、映画づくりの態度が不誠実なのは他の作品も同様だし、コナン映画よりひどいものはいくらでもある。作品の質で考えれば、この作品のほうが11人目のストライカー沈黙の15分よりも優れた部分はあるかもしれない。

この作品が罪深いのは、子どもたちと阿笠博士の関係性を崩壊させたことだ。該当部分を引用する。

まずは遊園地で探偵団とキュラソーが出会った後だ。

博士「君たち、観覧車はどうするんじゃ?」

元太「何言ってんだよ博士。そんなもんに乗ってる場合じゃねえだろ!」

博士「そんな、せっかく買ってやったのに…」

歩美「博士、邪魔」

博士「こら君たち、遊び半分でそんなことをしちゃいかん」

旅行に、キャンプに、食事にと、阿笠博士は一体この探偵団にいくら費やしていると思っているのか。タダで他人が自分に尽くしてくれることの尊さをこいつらは学んだ方がいいと思う。

そして次のシーン。キュラソーと園内を回っている探偵団だが、調子に乗っている元太がエスカレーターから身を乗り出して落ちるくだり。

コナン「元太っ…!!」

キュラソー「元太くん!!」

(元太、エスカレーターから転落後キュラソーが転落。しかも転落するとき博士に接触し怪我させる)
元太「あれ、どうして姉ちゃんが?」
キュラソー「よかった、無事で」

元太「ああ、そっか。俺、上から落っこちちゃったんだ」

スタッフ「大丈夫ですか、お怪我はありませんか」

元太「姉ちゃんが助けてくれたから大丈夫だぞ」

(中略、博士の怪我を医務室で治療)

光彦「なんで博士が一番痛がってるんですか」
元太「情けねな」

歩美「ほんと、子供みたい」

なぜこんな演出を作り手側全員が許容したのか。丸見え埠頭の惨劇で、博士への思いやりにあふれた元太を書いてくれた青山先生はなぜこれを認めたのか。

名探偵コナンの正史から消すべき最低最悪の作品であると断言するとともに、こうした作品を良しとしたすべての関係者を強く非難する。

第21作 から紅の恋歌(2017年)

監督 静野孔文 脚本 大倉崇裕

傑作「迷宮の十字路」以来の京都舞台の映画で、京都の町というより平安時代から続く和歌と百人一首を要素に利用した作品。だが、どちらかというと百人一首と秋が舞台で、京都らしさはもう少しほしかったかも。

画面や雰囲気は好きなのだが、冒頭とクライマックスの荒唐無稽なアクションや、事件自体の弱さが相まって全体的には静野系映画の一つという認識しかない。本作から雰囲気が変わったメインテーマはかなり好み。

第22作 ゼロの執行人(2018年)

監督 立川譲 脚本 櫻井武晴

櫻井脚本の特徴が存分に出た一作。世間的には評価が高めのようだが、実在する組織の登場や東京サミットなどの記号的な展開を優先してしまった結果、あちこちに破綻がきたしていると思う。

いくつか例を出そう。公安部に逮捕される小五郎。公安部がこれほど雑なでっち上げ逮捕をするわけがないという前提を飲み込んでも、白鳥刑事がさも重大なことのように「毛利さんが送検されます」と言って、蘭が絶句する描写には呆れる。

警察は告発があったり、犯罪を認知したりした場合、必ず検察庁にその結果を送らなければならないルールになっているからだ。小五郎の犯人性と送検するかどうかは別の話。

そもそも、送検することと、被疑者を逮捕して身柄を勾留、つまり警察や検察の施設に拘束するか自体が別問題。仮にこの映画で小五郎が逮捕後に釈放されたとしても送検はされる。詳細は刑訴法203条、246条を参照してほしい。

実は劇中でも、刑訴法の条文がカットインしたり、「警察は検察に事件を送る」ときちんと説明している箇所がある。にも関わらず、また別のシーンでは勝手にリアリティラインを変更してくる。残念だ。

また起訴するとして、公安事件は再逮捕、追送検を何度か重ねるケースが大半だ。最低でも起訴までに20日間は勾留されるが、こうした背景は中途半端に処理されている。公判前整理手続が起訴直後に始まるのも、異例というかあり得ない。

小五郎は結局、警察庁公安部側の都合ででっち上げから開放される。白鳥は「毛利さんの不起訴が決まりました」というけれど、起訴されているのだから、それは公判請求の取り消しを検察が裁判所にしている。不起訴ではない。

また、起訴取り消しは極めて異例の事態。違法捜査には自らけりをつけるなどと安室はいうが、安室のようなせいぜい課長補佐クラスの首が飛ぶだけでは済まず、警察庁警備局は幹部が軒並み処分されるだろう。安室は仕事をなめすぎ。

「蘭ねーちゃんのことになると君は一生懸命だね」と安室はコナンに言い放つが、蘭が関わってなくてもこの作品の公安はただの社会悪だから徹底的に抵抗するに決まっている。

アニメ映画にそんな細かいことを言うな、という考えはあるだろうが、そもそもリアリティを持ち込んで見どころに据えたのは作り手の側だ。それなのに、そのディテールが中途半端であれば、欠点として評価されるのはやむを得ないだろう。どんな細かい欠点でも片っ端から指摘させてもらう。

検察官にも関わらず国の中枢を狙うテロを行ってしまう犯人にも空いた口が塞がらない。

第23作 紺青の拳(2019年)

監督 永岡智佳 脚本 大倉崇裕

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どう見てもコナンにしか見えない少年を蘭が別人だと思う描写の時点で観る気が失せるのだが、その後の展開も噴飯もの。

孫悟空もびっくりの超人的能力でファンタジーみたいな格闘を繰り広げる京極誠にはついていけず、世界史に残るレベルのテロ事件を起こしてシンガポール経済に大打撃を与える展開には呆れた。

ラストの髪をおろした園子の画面の静止画を90分みたほうがまだマシな一作。

第24作 緋色の弾丸 (2020年)

監督 永岡智佳 脚本 櫻井武晴

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登場人物がその時どのような目的でどういう行動を取っているのかがよく分からない映画だ。

依頼者が誘拐されたのにひつまぶしを呑気に食う小五郎、純黒と同様、犯人追跡で一刻を争う状況にもかかわらず犯人と無関係の人同士が突然バトルを展開する沖矢、世良、メアリー*6。露出が増え、素顔を隠すべきなのに途中からなぜか素顔を出し始める赤井。

肝心のメインの事件についても、犯人になりそうな人物は3人しかいないのはいいとして、犯人のヒントになるような描写が劇中ほとんどないではないか。15年前の事件の犯人とされた人物のアナグラムになっていないか、登場人物の名前を全部チェックするような奇行をしろというのか。

真空超伝導リニアへの赤井の狙撃も、さすがに荒唐無稽すぎ。リニアのトンネルのカーブに弾丸がついていけるのか、狙撃位置と犯人を合わせられるのか。

秀吉がプロ棋士であることと、犯人追跡のために最適なルートを割り出す能力にいったいどんな相関関係があるというのか。

リニアはなぜ暴走を続けるのか。車両側の制御ができないなら、軌道側の電気を遮断すればいい。それができなくとも、あれほどリニアは軌道側面に接触しているのだからスタジアムに突っ込む前にどこかで止まらないとおかしいだろう。どれだけ真剣に見ていいものか。

コロナ禍による公開延期で多めに見られているが、まれに見る駄作だったと思う。

第25作 ハロウインの花嫁(2022年)

監督 満仲勤 脚本 大倉崇裕

それまでの数年間、ずっと不満だった名探偵コナン映画に革命を起こした一作。詳細はこちらも当時のブログに譲る。

舞台は実質渋谷だけだが、それまでの映画のように高速列車が爆破されることも、マリーナ・ベイ・サンズが倒壊することがなくても奥行きのある作品ができることが証明された。

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第26作 黒鉄の魚影(2023年)

監督 立川譲 脚本 櫻井武晴

八丈島にあった黒鉄のポスター

ハロウィンの花嫁に続いて2年連続ですばらしい作品に出会えた。詳細は別記事を読んでほしい。当時のツイートをふりかえる。

原作ができていないことを映画で達成し、劇場版になぜ黒の組織主役の映画が必要かを示した。歴史的な傑作だと思う。

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第27作 100万ドルの五稜星(2025年)

監督 永岡智佳 脚本 大倉崇裕

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永岡監督の担当作は好きになれずにいたが、本作ははじめてポジティブな感想が勝った作品アバンタイトルや中盤の電車の車庫での攻防など、見どころが多かった。

ただ、服部平次が和葉への告白をまた失敗するのは端的に言って飽きたし、作中での告白にいたるシチュエーションがよかっただけに、それで服部が何を言ったのかピンと来ない和葉はアホとしかいいようがない。

また、このタイミングで工藤家と黒羽家の血縁関係を示されても、なんの衝撃もないというか、後付設定なので冷める。事実、本作の結果はコナン本誌の展開にはなんの影響もなく、既に多くの人が気にしなくてなっているのではないか。申し訳ないが、こういう要素を入れた青山先生の判断が間違っていると思う。

詳細は下記記事も参照してほしい。

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第28作 隻眼の残像

長野県警にまつわる事件と小五郎の活躍がメインの映画だと思っていたら公安映画だった。コロナ禍以降の仕切り直しで大幅にクオリティをあげた演出や音楽が存分に発揮された傑作ではないだろうか。

警察組織や公安が登場するコナン映画は、現実にある要素を取り入れているのに、ディテールが雑でメインの事件解決のノイズになったり、キャラの属性にまで悪影響を与えたりしていることが多かった。

その点、今作では、そうした不満がほぼ解消され、非常に納得感のある展開とフィクションで現実の要素を受け入れる工夫がなされていた。

練られた脚本、適切な演出、美しい音楽など、これなら公安シリアステイストの映画ももっと観たいと思える作品だった。

詳細は、別記事をご覧いただきたい。

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全作ランキング

※たまに変動します。また、無理してランキングをつけているところもあるのはご了承ください…

1位 ベイカー街の亡霊

2位 瞳の中の暗殺者

3位 天国へのカウントダウン

4位 14番目の標的

5位 世紀末の魔術師

6位 時計じかけの摩天楼

7位 迷宮の十字路

8位 黒鉄の魚影

9位 水平線上の陰謀

10位 探偵たちの鎮魂歌

11位 ハロウィンの花嫁

12位 漆黒の追跡者

13位 戦慄の楽譜

14位 隻眼の残像

15位 紺碧の棺

16位 異次元の狙撃手

17位 絶海の探偵

18位 銀翼の奇術師

19位 100万ドルの五稜星

20位 ゼロの執行人

21位 から紅の恋歌

22位 天空の難破船

23位 業火の向日葵

24位 紺青の拳

25位 緋色の弾丸

26位 沈黙の15分

27位 11人目のストライカー

28位 純黒の悪夢

 

※更新履歴

2025/04/21 隻眼の残像 追加 第15位

*1:

https://youtu.be/aLQq9Z3uqW8?si=9iPnGfwE2LfV9Iz7

の冒頭

*2:川上量生「ニコニコ哲学」https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784822250515

瀬戸弘司「【トムヤム雑談】オープンになるほ多様性は減っていく。」

https://www.youtube.com/watch?v=eI3j8_gJy4Y&ab_channel=%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%BC%98%E5%8F%B8%2FKojiSeto

*3:純黒のレビューを参照

*4:僕は当初、『名探偵コナン』はミステリーだと思ってチームに参加したんですが、劇場版に限っては、みんながアクションを望んでいるという空気もあったんですね。その空気感を正確にピックアップして興行成績につなげたのが静野さんです。古参のファンから非難されることも半ば覚悟したうえで、より多くのお客さんに間口を広げていった。その姿勢は見習うべき点が多く、エンタメ界における職人そのものだと思います。

【インタビュー】赤井一家(ファミリー)はなぜ集結したのか――劇場版『名探偵コナン 緋色の弾丸』制作秘話を脚本家・櫻井武晴が語る - ライブドアニュース

*5:ちなみに、櫻井さん脚本の相棒も初期から見ております。このようなプロットに近いのは、櫻井さんが相棒から退く直前の「原因菌(S12-3)など。また「暴発(S9-6)」「ボーダーライン(S9-8)」などがあったシーズン9は相棒で最も素晴らしい1年だった。ほぼ全話が視聴率20%超えで、毎週傑作で打ちのめされていた…相棒傑作選もいつかやりたいですね。

*6:https://news.livedoor.com/article/detail/20166276/いや、自然に組み込むのは無理ですよ(笑)。毎回、試行錯誤しながら、なんとかお題をクリアしていくだけです。今回も赤井の狙撃をはじめ、カーチェイスや格闘戦など盛りだくさんでした。それも試行錯誤の結果ですね。たとえばもともとのプロットには赤井、正確にはこのときは沖矢昴ですが、彼と真純の格闘戦は入っていなかったんです。でも、青山先生から入れてほしいとリクエストがあって、それで作ったんです。「急いで拉致犯を追わなくてはならない状況下で、なぜふたりが戦わなくてはいけないんだろう?」と思いつつ、それが成立する段取りを考えて、どうにか作り上げました(笑)